高知の母に預けてたふたりの子供が八王子に引っ越して来て、
若い身空でいきなり三児の母になってしまった嫁も心配だし、
真ん中の子が風邪をひいたとも言うので、
二泊三日の強行スケジュールで日本に帰って来たのがいけなかった。
だいたい移動だというと前の日寝ずに仕事をし、
そのまま空港に行って飛行機に乗る。
二泊三日では初日と帰る日は寝ないということになるので大変である。
最終日は3時に起きて仕事をしていた。
2時間もあれば余裕だと思ってのんびりやってたら、
「パパぁ!何やってんの?!もう5時よ!!」
と嫁が血相変えてスタジオに飛び込んで来る。
まだ4時やけど・・・
「それ北京の時間とちゃうん!!!」
二泊三日なのでパソコンの時間を北京時間のまま変えてなかったのだ。
これ・・・時差ボケと言う・・・
始発の飛行機に乗るには八王子からだと5時に出ないと間に合わない。
嫁が車を出してくれてばたばたと車を出してくれて何とか間に合った。
北京空港で国内線に乗り換えて重慶へ・・・
と思ったら何故かずーっと頭痛がしているので、
「酒を飲んだら直るじゃろう」
と空港のタイ料理屋でビールを飲んだら痛くて動けなくなった。
「張張(ジャンジャン)!助けに来てくれぃ!!」
一緒に重慶に行くデブのキーボードを電話で呼び出して救いを求める。
太った体で駆けつけて来た張張(ジャンジャン)!に医務室に連れて行かれる。
「最近寝てないとか休んでないとか、疲れてませんか?」
医者にそう言われて「もっともだ」とばかり薬をもらう。
「ほな、そういうわけでワシは病気なんで君ひとりで行って来なさい」
デブのキーボードは泣きそうな顔で首を横に振る。
「ボク・・・大変だったんですから・・・
あの人たち・・・わけのわからないことばっか言って・・・
何回直しても満足してくれなくて・・・
最後にはイルカの鳴き声で歌を入れてくれって・・・
一緒に行ってくれなきゃ・・・ボク・・・泣いちゃいます・・・」
まあ音楽をまるで解さない人たちからの発注なので当初からいろいろあった。
「メロディーをもっと優美にしてくれませんか」
優美?・・・・うーむ・・・
「この部分をもう少し怪意にしてくれませんか」
怪意?・・・うーむ・・・
あんましよくわからんので「後は頼む」とデブのキーボードに投げ出していたのじゃ。
彼らもワシには少し遠慮するのかこの程度だったが・・・
そうか・・・イルカの鳴き声までいったか・・・
仕方がないので医者からもらった頭痛薬を飲んで飛行機に飛び乗る。
飛行機に揺られること2時間弱。
日本から北京までやって来て、
またその道のりの半分を引き返すようなもんである。
(重慶のレストラン街の道路にある素敵なテーブル)
久しぶりの雑技団の練習場。
コンテストまであと1か月ということで、
練習にもかなり気合が入っている。
最終的に決定した演技をみせてもらったが、
さすがにアクロバット度がかなりUPしていた。
(演技する台から飛び降りた少女を空中に放り投げて回転させて受け止める)
(3人で片手倒立をし、もう片手同士を合わせた上で少女が片手倒立する)
人間業かい!!!
一流のスポーツマン、芸術家はどうしてあんなに凄いのかというのを語った人がいる。
彼らの毎日の生活がもう普通の人と違うのだ、と。
人が普通の生活をしている時に違う生活をしているから違うのだ、と。
つまり芸術とは「生き様」だ、と。
ワシにはこの子たちがこの数カ月どんな生活をして来たかがわかる。
もう夜の11時。でも子供たちは練習をしている。
明日は朝の9時集合。でも子供たちはもう練習をしているだろう。
生き様・・・というか・・・「人生」である。
演目が入れ替わったり長さが変更になったりしているので、
それに合わせて曲のサイズも変更する。
「張張(ジャンジャン)くん!まずAメロを半分に削りなさい!
間奏も8小節削りなさい!
少女が台から飛び降りる時には何か効果音を入れなさい!」
デブのキーボード大忙しである。
かくして曲のエディットが終わり、
それに合わせてもう一度演技をしてもらう。
もう夜中の12時である。
後は翌朝に雑技団の団長に聞いてもらうことにしてとりあえずこの日は終了。
翌日の団長は更に演技を少し変更し、
それに合わせてまた少しサイズを変えてとりあえず楽曲にはOKが・・・
と思ったらまた
「間奏の部分をもう少し怪意に・・・」
もう既に怪意です!!
まあ怪意っつう中国語の意味もよくわかっとらんのじゃが、
ここがやっとワシの出番である。
ヘタな中国語と理詰めで団長を説得してやっとOKが出た。
やっと終わった・・・
解放されて地ビールを飲む張張(ジャンジャン)。
デブよ、お前はまだわかってない!
トラックダウンでまた山ほど直しが来るであろうことを・・・
・・・というわけでワシは明日の仕事終わったら日本帰るし・・・
後は任せた!!