零下の北京を避けて八王子で子育てに専念している今日この頃、
北京からとっても嬉しいニュースが飛び込んで来た。
なんと、私が音楽を担当した重慶雑技団が全国大会でグランプリを取ったらしい!!
いやー・・・嬉しかった!!
わけもなく涙が出て来た。
11月中旬が大会だったのじゃが、
ずーっと何の音沙汰もなかったので「こりゃ落選したな」と思っていた。
まあこちらとしては「仕事」としてやっているわけだから、
向こうが満足してギャラ払ってくれればそれで「仕事」は終わりである。
別にそれでコンテストに落選しようがワシには関係ない。
しかし・・・
あのスーパー子供たち・・・
毎日毎日あの苦しい練習をして来たあのスーパー子供たちのことを考えると・・・
やっぱ何らかの「結果」を形として残してやりたい。
例え数回しか会ったことがなくても、
例え今後一生会うことがないにしても、
ワシは確かにあの子たちの人生の一部(実は大部分)をこの胸で受け止めて、
それを「音楽」という形にして返してあげた。
「仕事」としてはこれまでである。
しかしずーっと「何か」が心にずーっとひっかかっていた。
ひぐっつぁんが死んでまだそう日がたってないが、
おっさんが偉大なドラマーであったことは世界中が認めている。
ワシもおっさんの精神を受け継いで、
今後もおっさんの残した偉大なる楽曲を演奏してゆく所存である。
しかしあのスーパー子供たちはどうだ?!
小さい頃から一生を雑技に捧げ、
その大部分は世に一切認められずに死んでゆくのだ。
いや、音楽の世界とてそうである。
どんな世界でも、その人の一生が認められずに死んでゆく方が多いのじゃ。
しかし一瞬たりと言えどもワシはあのスーパー子供たちと一緒にいた。
音楽で出来ることなんてほんの小さなことである。
この曲を聞いて涙を流す人はおそらくいない。
でもこの音楽と共に演技をしているこのスーパー子供たちを見て、
おそらく大多数の人が涙した。
だからグランプリを取った。
たかが賞である。
しかし彼らにとっては「優勝」こそが「全て」であった。
そのためにあのスーパー子供たちがどんな毎日を送っていたか、
そんなことはちょっとでもその演技を見れば容易に分かる。
「勝負は時の運」と言うけれども、
少なくとも彼らはそんなところで生きていたのではなかった。
そんな彼らの一生の中で、
ほんの少しでもワシの音楽によって花を添える手伝いが出来たことが非常に嬉しいのじゃ。
(コンテストの時の写真、動画も是非入手したい)
あの時、副団長はワシに言った。
「雑技界に革命を起こしたいんだ!」
少しはお手伝いが出来たことが嬉しい。
そしてこう言った。
「グランプリなんかとったらファンキーさんも雑技界音楽界からひっぱりだこですよ」
それだけは避けたい!!
しんどいのよ・・・このテの仕事・・・
ワシはやっぱドラム叩いてビール飲んで暮らしたい。