ひとりドラムの軌跡

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2004年6月25日

小さな恋の物語・・・ええ話やなあ・・・涙・・・

小さな恋の思い出

なんか最近よく初めての人からドラム叩いてくれと頼まれる。
今日は3曲まとめてである。
こちらでは1曲叩いたら1週間食えるので3曲と言うと半月以上食える。
よし、頑張るぞ!!

スタジオミュージシャンの中でドラムは一番大変である。
この大きなかさばる機材を自分でスタジオまで運ばねばならないから。

ワシはもうかれこれ20年近くパールのモニターをやっているので、
パールから提供してもらったドラムセットももう全部で7台となり、
2台が日本、あとの5台は全部北京に送ってある。
総重量570kgあった・・・

北京にある5台のドラムセットのうち、
ひとつはS社長のスタジオに置いてあり、もうひとつはLプロデューサーのスタジオ、
そしてJazzセット(小すいか)は今後のJazzライブのためにJazz-yaに置いて、
後はどどんと今の住処に置いてある。
ドラムの山である。(すいかドラムとかいろいろ・・・懐かしい・・・)

いつもS社長のスタジオか、Lプロデューサーのスタジオで録ってくれれば、
ドラムを運ばなくていいので楽なのだが、先方にも都合があるのでそうはうまくはいかない。
アシスタントの重田に連絡して、指定のスタジオに指定の時間にドラムを運ばせる。
ドラムのフルセットをタクシーに積んで運ぶので彼も大変である。

さてワシは指定された時間に指定されたスタジオに行くのだが、
初めてゆくその日のスタジオは珍しく市外の南側にあった。
スタジオは大体北側か、遠くても西側に多いので、南側には滅多に行く機会がない。
ともすれば初めてゆく場所なのだが、
ワシにとってはとある小さな思い出のある場所であった。

数ヶ月前になるであろうか・・・
香港の夜総会好きの友人Wは、突然北京にやって来て「会おう」と言うので、
タクシーに飛び乗って行き先を伝え、そのまま着いたところが
想像にたがわず夜総会、つまりカラオケ(と言う名のキャバレー)であった。

着いた頃には上機嫌でカラオケを熱唱するW。
ワシは挨拶して一緒にちょいと酒が飲めればそれでいいのよ・・・

頼みもしないのに店長がやって来て「女の子を選べ」と言う。
いいの、いいの、ワシは・・・女の子おったってろくなことないから
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/68.html
と断るのだが、それでは店長のメンツが立たないのであろう、
仕方がないので女の子がたむろする場所、いわゆるここが「ひな壇」なのであろう、
そこに連れて行かれ、
仕方がないので適当に奥に座っている地味で目立たない女の子を指名した。

「おっ!!」
店長が何やらちとびっくりした仕草をしたので「どうしたの?」と聞くと、
「この娘は今日が初仕事なんですよ」と言う。
テーブルについた彼女も
「始めまして。私は昨日北京にやって来たばかりで今日が初出勤です。
至らぬところもあるでしょうがお許し下さい」
とお辞儀をする。

見れば素朴で、こんな商売にはまるで似合わないような娘である。
「いくつ?」
聞けば20歳だと言う。
どんな家庭の事情でこの仕事を余儀なくされたのであろう・・・

ワシはこの後打ち合わせがあり、
人と会わねばならないので「持ち帰り」などとうてい出来ないが、
飯をまだ食ってないので、連れ出して一緒に飯でも食うと言うのはどうだろう。

やり手ババアのママさんに聞いてみる。
「300元払えばいいわよ」
キャバクラの店外デートのようなもんか・・・

よし!じゃあ300元!
最近金があるのでつい無駄遣いをしてしまう・・・
アホな男である。

「じゃあ着替えて来させますから」
ママさんが彼女を裏に連れてゆき、しばらくして私服に着替えて戻って来た彼女は、
どっから見ても「田舎から出てきたばかりの素朴な女の子」である。

思えばWに初めて香港の夜総会に連れて行かれた時、
なかなか「女の子を選ぶ」と言うことが出来ず、
キレたママさんに「あんた結局どう言う女の子が好みなの!!!」と言われ、
「うーん・・・素朴な女の子・・・」
と答えたら「んなんがこんなとこにおるかい!!」と大笑いされたことがあったが、
思えば彼女こそ希少な「素朴な女の子」そのものではないか・・・

Jazz-yaに連れてゆき、とりあえずカクテルと飯を頼んだ。
「君の初仕事に乾杯!」
男は金持ってるとちとかっこいいことが出来て素敵である。

差しさわりのない程度に聞いてみる。
「なんでこんな仕事始めようと思ったの?」
別に言えることだけ言えばいい。飯を食い終わったらそのまま別れて、
恐らくまた会うことはあるまい。ワシはただの彼女の初めての客なのである。

身の上話を聞いてるうちにちょっと説教癖が出てしまう。
「でもさあ、あんたこの仕事がどう言う仕事かわかってんの?
もしこのまま俺があんたと寝るって言ったら寝なきゃなんないんだよ。
わかってんの?」

彼女の顔が少し曇る。
しばしの沈黙・・・
場が持たなくなって口を開くワシ・・・

「でも、どんな生活にだってそれなりの幸せはある。
問題なのは覚悟を決めて飛び込むかどうかだよ。
覚悟さえ決めればどんな生活にだって絶対それなりの幸せはあるからね」

Jazz-yaのキャンドルの炎のせいか、初めて飲むカクテルのせいか、
彼女の頬が少し赤らんで、目が心なしか潤んでいるように見えた。
都会の華やかなバーの雰囲気のせいか、初めて飲むカクテルの酔いのせいか、
彼女がだんだんと能弁になる。

「嬉しい。今日は私の記念日。今日のことは一生忘れない。私、頑張る!」
彼女と乾杯する。

「俺は友人が夜総会を経営したりしてるんでこの商売のことはだいだい知っている。
この商売の女の子の末路がどう言うのかも知っている。
最後には落ちぶれていなくなってしまうか、
生き残ってあのやり手ババアのママさんとなって別の女の子で稼ぐか・・・
どっちにしてもこの世界に住んだら女の子はすぐに変わってしまう。
お店にいただろ、あの派手な女の子。
あれがこの世界のプロだよ。ああじゃないと稼げない。
あんたもいつかああなってしまうのか、それもいいだろう。
でもあんたの初めての客は素朴な女の子が好きっつう変な客だった。
君の今が好きだった。
その初めての変な客からのささやかな願いを言わせてもらうと、
出来ればあんたにはこのまま変わって欲しくない。
でもそれもきっと無理な話だろう。だからせめて
今の素朴なあんたを好きだった変わった客がいたんだ
と言うことを覚えていてくれればそれでいい」

彼女の初めての客は、彼女に300元を渡してタクシーに乗せ、
自分は次の打ち合わせ場所へと向かって行った。
方向も彼女は南側、自分は北側。まるで反対方向である。
生きている世界もまるで違う。もう会うこともないだろう・・・

しかしまるで接点のないこのふたりを、携帯電話のショートメールがつないだ。

「昨日はありがとう。いい思い出になりました。あなたの仕事が順調であることを願います」
お決まりの営業メッセージである。
お決まりの返事を返してそれで終りのつもりだったが、
アホなワシはどうしても彼女のことが気になって仕方ない。
「どや?客がついたか?生活は順調か?」
いらぬ心配をしてメールを送ってしまう。

メル友をやってるうちにいろんなことがわかって来る。
彼女の収入は指名されて初めて彼女に入ってきて、
誰からも指名されなければボーズ、つまり一日ひな壇に座っててノーギャラである。
世の客はどうせ金を払うなら派手でセクシーな女の子を選ぶので、
彼女のようなキャラクターではなかなか勝ち目がない。
しかも彼女の一張羅のドレスや化粧品なども全て自前で用意せねばならない。
考えてみればキツい商売である。

「いいよ。飯ぐらい奢るよ」
ある日仕事終りに彼女を食事に誘った。
食事だけの300元でも彼女の収入になったらそれはそれでいい客である。
「初めてのいい客」をやり続けるのも大変である。

田舎から出て来て右も左もわからない彼女と待ち合わせ。
仕方がないので彼女の住んでいるところの近くにする。
彼女が転がり込んでいるホステス仲間のマンションの向かいのレストランに、
彼女はあの時と同じ服を着て来ていた。
それが今回ワシがドラムを叩きに来たスタジオの隣であったのだ。

「よ、この前と同じ上着だね。かっこいいじゃん!」
美的センスがゼロのワシが何とか服装を褒めようとすると墓穴を掘る。

「私・・・着の身着のままで来たからこの服しか持ってないの・・・」

食事をしながら彼女のグチを聞いてあげる。
職場のこと、家庭のこと、そして慣れない北京での生活のこと・・・

「じゃあ友達紹介してあげるよ。
俺の周りは有名人だけじゃなく食うや食わずのミュージシャンがいたり、
いろんな奴がいて面白いよ。
別に自分の職業言わなくてもいいし。
集団就職で来て夜レストランで働いてるとでも言っておけばいいじゃん。
君を見てまず水商売だと思う人はいないよ。
その代わりね、自分の商売を卑下しちゃだめだよ。
好きでやってるわけじゃない、これやらなきゃ生きていけないからやってんだから。
仕方ないんだからあんたが悪いんじゃない。
こんな仕事やってるからってあんたはむしろお天道様に胸張って生きていかなきゃ。
どんな生活にだってそれなりの幸せがあるんだから。それを早く見つけようよ」

そして彼女の「最初の客」は、その頃から彼女の「最初の友達」となった。
毎日のように彼女はひな壇からメールを書いて送って来たが、
彼女のグチは日増しにひどくなって来た。
ある時にはまた仕事終りに彼女の家の近所まで行って飯を食ってグチを聞いてあげた。
友達なのでもちろん300元も払わない。

そんなある日、ぷつんと彼女からのメールが途切れた。
仕事が終わってもメールが来ず、心配して電話をしても電源が入ってない。
そして次の日の昼間も連絡が取れず、夜になってひな壇からメールが来た。

「ごめんなさい。仕事終わって電話を同居人に渡したまま朝まで帰らなかったから・・・」

ピンと来た。彼女は初めて客をとったのだ・・・
それはそれで喜ばしいことではないか・・・ちょっと複雑な心境ではあったが・・・
そしてしばらくしてひな壇からメールが来た。

「この街はなんてひどい街なの・・・
私はここに来てからひとつたりともいいことなんてなかった。
世の中ってどうしてこんなに不公平なの。
私だけがどうしてこんなに辛い思いをしながら生きていかなきゃなんないの」

一生懸命慰める。
「どんな生活にだってそれなりの幸せがあるから」
すぐに返事が来た。
「幸せですって?私には遠すぎるわ・・・あまりにも遠すぎて絶対につかめない・・・」

あまりにも可哀想で、彼女にメールを送った。
「じゃあ今日仕事終わったらぱーっと行こうか。家の近所まで迎えに行くよ」
心なしか彼女のメールの表情がぱっと明るくなった。

そして真夜中の1時。彼女が仕事が終わったとメールが来る。
タクシーに飛び乗るワシ・・・
家に着いたとメールが来る。
もうすぐ着くよとメールを送る。

しかし家の近所に着く頃にメールが途絶える。
電話をかけても通じない。

当時はまだ寒かった・・・
門の前で1時間彼女からの連絡を待った。
でも連絡が取れず、ワシはあきらめて家に帰った。

南側からワシの住む東北側はタクシーでも非常に遠い。
道のりの半分を過ぎた頃、彼女からのメールが届いた。

「やっぱり来てくれなかったのね。ずーっと待ってたのに・・・じゃあおやすみなさい」

急いで電話をするワシ。
「やっとつながった!!ずーっと電話してたのにつながらなかったよ。
メールも送ったのに・・・」

聞けば「家に着いたわよ」の返信以来全てのメールが不達であったらしい。
回線が悪いのか、その時だけワシの電話にも電話がつながらなかったらしい。
不思議な話である。

「俺は寒空の下、1時間ずーっと君のこと待ってたんだ・・・」
にわかに信じがたそうな彼女。
「じゃあ今から戻るよ。外で待ってて」
しばらく考えてから彼女は優しくこう言った。

「いいの。今日はもう遅いから寝ましょう。また今度ね」

それからワシは日本に帰ってしばし仕事をし、
忘れかけてた頃、久しぶりに彼女からメールがあった。

「私・・・明日故郷に帰ります・・・」

ワシは急いで彼女と連絡を取って呼び出した。
「今日は門のところまで出て待っててくれ。前回みたいなことがないように。すぐ行く」

彼女はまた同じ服を着て門のところに立っていた。
1ヶ月働いて彼女は自分の服ひとつ、
靴下ひとつも買うことが出来なかったのである。

「明日帰るんだったら俺が北京で一番綺麗なところに連れて行ってやる」
皇帝の保養地だった后海と言う湖のほとりを手をつないで歩いた。
ベンチに座って真夜中の湖を見ながら語り合う。

「この街に幸せはなかったわ」
湖を見つめて悲しそうにつぶやく彼女。
「バカヤロー。幸せなんかなあ。つかむもんじゃ!努力もせんで何の泣き言じゃい!」
ちょっと興奮して奮起を促すワシ・・・
「でもね、世の中は平等じゃないの。幸せな人もいれば絶対幸せになれない人もいるの」

「アホか!世の中が平等なわけないやないかい!お前と俺が平等か?
お前が女である全てを捨てて稼ぐ金を俺はドラム叩いたら1日で稼ぐことが出来るんや。
誰が世の中平等や言うた?んなもん絵空事や。
でもお前よりも不幸な奴も俺はたくさん知ってる。
この国は特にヒドい。そんな話は珍しくないぐらいどこにでも転がってる。
でも低く生まれた奴はみんな不幸か?高く生まれたらみんな幸せか?
低く生まれても幸せな奴もいれば高く生まれても不幸な奴もいる。
上を見ればきりがないし、下を見てもまだまだ下はいる。
この自分の世界だけを見て、その世界の自分だけの幸せを探すんじゃ。
絶対に見つかる。見つからんのは努力してないからじゃ。
神様は人を確かに不平等に生んでるけど、幸せをつかむ権利は平等や。
ただその幸せの種類が人によって違うだけや。
見つけたらそれはその人だけのかけがえのない幸せや。違うか?」

ワシはひとりの娼婦の物語を彼女に話した。
一人っ子政策の二人目の子供である彼女の家庭は、
その罰金のためにただでさえ貧しかったのが、
お兄さんが犯罪を犯して刑務所に入れられ、
その命を守るために毎年多額の賄賂を送らねばならない。
その天文学的なお金を彼女は北京まで来て身体を売って稼ぐ。
しかし働いても働いてもお兄さんは出獄できない。
父親からは毎日催促の電話。
もう生活力もない両親。その生活も全部彼女の稼ぎの肩に乗っかる。
怒鳴り散らす彼女。金、金と毎日電話をかけて来る親・・・
この世の地獄である。

その金のためにありとあらゆることをやって、その娼婦は22歳でもうぼろぼろであった。
それに比べたらこの新米娼婦なんぞいい方である。
このまま故郷に帰って、落ちるところまで落ちずに
それなりの幸せをつかむことは出来ないことではないようにワシなんかは思うが、
しかし所詮は違う世界の人間が傍観して勝手なことを言ってるだけのことである。
まさしく「住んでる世界が違う」のである。

しばし無言で湖を見つめる。
「じゃあ私、帰る・・・いろいろどうもありがと・・・」
彼女が立ち上がる。
つないだ手を離したらもう二度と戻って来ないような気がしたが、
ふたりはその手をそっと離した。

最後にワシはまた彼女に
「どんな生活にでも絶対にそれなりの幸せはある」
と言った。
ちょっと苦笑いを見せて彼女はうなずいた。

タクシーを止めて彼女を乗せる時に、最後にちょっとだけ聞いてみた。
「ねえ・・・あの日・・・もし電話が、メールが通じてたら・・・俺たちひょっとして・・・」

彼女は何も答えず、ちょっと背伸びをしてワシのほっぺにキスをしてタクシーに乗り込んだ。

「ええ話やないの・・・」
3曲のドラム録りは順調に終り、
飯を食いながらミュージシャン仲間に思い出話を語っていた。
一番女遊びが激しいロックミュージシャンEが俺にこう言った。

「でもな、娼婦はしょせんは娼婦よ。お前と彼女は住むところが全然違う。
お前はバカだからわかっとらんかも知れんが、彼女はじゅうじゅうわかっとるよ。
男はなあ・・・金を持つと変わるんだ。女はなあ・・・金がないと変わるんだ」

今ではめったに来ることはない南側の懐かしい街角を後にした。

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:47 | 固定リンク

2004年6月 5日

2週間まるまる寝れないほどの忙しさの中・・・

まぐまぐからお知らせメールが来た。
「あなたのメールマガジンはもう3ヶ月発刊なさってません。どうなさったのですか?」
えらい親切なメルマガ発刊サイトである。

そうかぁ・・・そんなになるのかぁ・・・

思えば非常に忙しかった。
死ぬほど忙しかったと言えよう。

それもひとえに零点(ゼロ・ポイント)のプロデュースのせいである。
(関連ネタ)http://www.funkycorp.jp/funky/ML/78.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/88.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/90.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/92.html

今年中にいろんな企画をやるから、お前は全部で35曲年末までにアレンジせい!
と言われているので、ヒマを見ては・・・と言うより、
もうかれこれ数ヶ月間毎日常にそれをやっている。

メンバーにもごたごたがあり、ギターとキーボードが脱退したが、
なんか影ではほとぼりが冷めたら復活とかナンだかわけがわからない。
ある日なんぞ、なんか「音楽賞の授賞式があるからお前も来い」と言われ、
ベストプロデューサー賞かなんかでも頂けるのかと思っていそいそついて行ったら、
何のことはない、いきなり授賞式でのライブであてぶりでキーボードをやらされる。
もちろんノーギャラである。

ま、いいのよ。あてぶりだし、自分のアレンジした曲だからだいたい覚えてるし・・・
ノーギャラでも飲み食い豪勢なの奢ってもらえるし・・・

でもそんなアホやってるからますます忙しいのよね・・・

XYZのツアーで来日し、また北京に戻った時、いろんな業界人からこう言われてびっくりした。
「ファンキー、お前はついに零点(ゼロ・ポイント)のキーボードになったのね」
なんじゃそりゃ?と思ったら、その授賞式の模様は全国に放映され、
新聞、ニュース、ネット記事の全てで
「零点(ゼロ・ポイント)の新しいキーボードは日本人!!!」
と報道されているではないか・・・

キーボードなんか弾けへん!っつうねん!

北京に戻るや否や、
「ファンキー、すぐ新曲をレコーディングするぞ!」
メンバー脱退の痛手を払拭するために新メンバーでの新曲をすぐにでも発表せねばならん。
「新メンバーって・・・誰?・・・」
まあキーボードは弾くことは出来んが、MIDIで打ち込むならなんとかなるなあ・・・
ギターはスタジオミュージシャンでも指すかぁ・・・
とかいろいろ考えつつ、実のところ結局は
当分の間は新メンバーではなくサポートメンバーなので誰でもいいのよね。

寝ずにアレンジを1曲仕上げ、翌日にリハーサル。
そこで更にアレンジを固めて、翌々日にレコーディングと言う予定が、
当日のリハーサルでメンバーから新たな新曲が提出され、
「やっぱこの曲でいこう」
と言うことになる。

・・・ワシの夕べの徹夜はどうなんの?・・・

リハ終了後、すぐさままたその曲のアレンジに突入し、
スケジュールはその分確実に後ろ倒しとなる。
しかしワシは次の日から日本の某企業CMソングのレコーディングが入っており、
それは日本からその企業の部長さんまで北京にやって来てレコーディングするので、
中国と違っておいそれとスケジュールを動かすわけにもいかん。
「すまん!ワシ・・・明日から別のレコーディングなんで・・・」
と言っても聞き入れてくれる相手ではない。
「ワシらの命運をかけたシングルと他の仕事とどっちが大切じゃい!」
と一喝されるのかと思いきや、
「いいよ、いいよ。それ何時に終わるの?それ終わったら夜中にレコーディングしよう」
と来る。
昼間ワシ自身がドラムを叩いて、
そのセッティングのまま零点(ゼロ・ポイント)のドラマーが叩けば
レコーディングもスムーズだと言うわけである。

ほなワシ・・・いつ寝るの?・・・

かくしてその日本企業のCMソングのレコーディングと
零点(ゼロ・ポイント)のレコーディングは平行して続く。
その日本企業のCMソングは、
その日本人なら誰しも聞いたことのあると言う有名な曲であるが、
その企業の部長さんが女子十二楽坊の大ファンであると言うことと、
女子十二楽坊は日本の一種のトレンディーな流行ではないかと言うことから、
その会社がわざわざ直接女子十二楽坊に依頼をしたところ、
当然のごとく目の玉が飛び出るぐらい高い値段だったそうで私に依頼が来た。
「ファンキーさん、すみませんが女子十二楽坊風にアレンジして下さいな」
と言うもの。

・・・ワシって一体・・・

中国民族楽器オーケストラのアレンジは非常に難しいので、
零点(ゼロ・ポイント)のレコーディングが終了した朝方からも譜面を書く。
ぎりぎりで間に合って昼過ぎにスタジオに入って、
用意していた女子四楽坊とも言うべき綺麗どころの女子民族楽団に演奏してもらう。
綺麗どころでも用意してないとやってられないところなのでせめてもの憩いだが、
残念ながらブッキングされた笛だけは男性であった。

CMソングは全部で5バージョン、
同じ曲を全部違うアレンジでレコーディングせねばならない。
正味5曲分違う曲をまるまるレコーディングするのと同じ仕事である。
修羅場のようなレコーディングを、綺麗どころと共にまる一日、
天国なのか地獄なのかようわからん状態でスタジオに缶詰になる。
夜の9時になると零点(ゼロ・ポイント)のメンバーがスタジオに現れる。
これが終わればすぐさまベースとギターを録ろうと言うのである。

こちらのレコーディングでは待たされるのも日常茶飯事だが、
その代わり待たすことも「よし」とされるので、
こちらが終わるまでみんな気長に待ってくれるが、
気ぃ使いの日本人としてはどうも気が気ではなく胃が痛い思いをする。
11時頃やっと民族楽器を録り終えてほっと一息つくヒマもなく
零点(ゼロ・ポイント)のレコーディングが始まる。

終われば朝なのだが、また朝から今度はそのCMソングのTDである。
都合のいいことにメンバー同士が意見の対立でもめ、
ギターは録らずにベースだけで早めに終え、その日は少しは寝ることが出来た。
そのTDさえ終われば少しは時間に余裕が出来るはずである。
思えば本当ならその日にWINGが北京でのライブのためにやって来て、
ワシが例によってバックでドラムを叩かねばならないはずであったのが、
スケジュールがドタキャンで後ろにずれ込んだ。
これがあったら確実に死んでいただろう。
ドタキャン万歳!!

TDが終わって飲みに行く。
翌日からついに開放されるかぁ!!!!と思いきや、そんなはずはない。
朝方、零点(ゼロ・ポイント)から電話が入って来て、
「今日じゅうにギター録るぞ!ギタリストをブッキングしろ」
ワシがするんかいな。お前ら自分でするんとちゃうのん?
「バンドが言うとヤツら絶対ウンとは言わんから、お前が仕事として発注しろ」
ま、いろいろあるのね。
朝っぱらから電話番号調べて、一番売れているロックギタリストをブッキング。

そうして次の日もスケジュールは埋まるのだが、
「これが終われば開放される」
を馬の頭にぶら下がったニンジンにして何とか頑張れる。
ギター録りが終ると、すぐさま歌入れが開始される。
それが終われば、次の日とその次の日のうちにTDを終わらせればよい。
スケジュールについに白いところが出来るわけである。

「あのう・・・ワシ・・・歌入れにおってもしゃーないから先に帰ってもええやろか・・・」

歌入れをぶっちしてついに夜寝れる生活である。
「やったー!!!!」
とばかり帰宅に着こうとすると、「ちょっとファンキー」と呼び止められる。イヤな予感・・・

「明日天津でまた授賞式があるから・・・」

ワシは行かんぞ!行かんですむもんならワシは絶対に行かん!
どうせあてぶりでまたアホ面さげてキーボードを弾いてるぐらいならワシは少しでも寝る!

あまりに可哀想と思ったのか、さすがに
「じゃあ行くか行かないかは明日また連絡するよ。今日はゆっくり寝なよ」
と言う零点(ゼロ・ポイント)。

かくしてやっとゆっくり眠れると思ったら朝方電話で起こされる。
「喜べ!お前は天津に来なくていい」
そんなことで朝から電話かけてくんなと思ったら、
「バンドみんなで聞いたらやはりドラムから録りなおそうと言うことになった。
お前はスタジオ押さえて、先にドラムをセッティングして、ワシらの帰りを待て!」
ドラムを録り直すっつうことはそれに合わせてベースもギターも全部録り直すってこと?・・・

かくしてワシの寝れない日々は続く・・・
しかしよく考えたら数日後にはJazz-yaリニュアルオープンで、
日本からあの、憂歌団の木村はんが北京にやって来るのじゃ・・・
おりしもJazz-yaがオープンしてこの日で9周年。
そして大々的にリニュアルしたJazz-yaで木村さんを呼んで二日間ライブを行おうと言うもの。

譜面もまだ書いてまへんがな・・・

いつ譜面を書くんやろ・・・と思いつつ、刻一刻とライブは迫る。
「天津から帰れんようになったのでドラム録り今日は中止!」
電話がかかってくるが、こうなればその日にスケジュールが空くのが嬉しいと言うより、
スケジュールがもっとずれこんでライブと同じ日になる方が恐ろしい・・・

「ファンキー、明日はまた一緒に天津に行ってもらう」
必要じゃないものは絶対にやらん!と行って置いたにもかかわらず、
「絶対に必要だ!」
と言われるので一緒に着いて行けば、そこは盛大なサッカーの開幕式である。

そう言えばそのテーマソングを去年アレンジしたなあ・・・
オープニングであてぶりのパーカッションで彼らと一緒にそのテーマソングを演奏する。

「原曲にパーカッションなんか入ってまへんがな!!!」

何故か脱退したはずのメンバーも一緒に演奏している。
ええのん?脱退したんとちゃうのん?と聞くと、
「サッカーを愛してるからいいんだ」
と言う理由だそうだ・・・

そしてワシは何故かそこで原曲にも入ってないパーカッションを叩く・・・なんで?・・・

この最大の晴れ舞台でワシへのせめてものお礼と言うことか・・・
でもワシ・・・そんなヒマないんですけど・・・

終了後すぐにまた車に乗せられ、北京に戻る。
と思いきや、テレビ局の連れていかれて何か歌番組の収録。
着くやいなやいきなりギターを渡され、すぐに本番収録。

ギター・・・ですかぁ?・・・

昼間のサッカースタジアムと同じ曲だが、
同じあてぶりでも、原曲に入ってないパーカッションと違って、
ギターと言えば曲を完璧に知らな指が合わんやないの・・・

「キーは何なのキーは?」

せめてリフのあてぶりぐらいはポジションぐらいあっておきたい。
ベースのヤツに聞くが、「俺も忘れた・・・」とのこと。

ワシ・・・一体どうすればいいの・・・

サビのメロディーを一生懸命思い出し、ボーカルのキーと照らし合わせ、
大体このキーだろうと言うポジションでいきなり本番が始まる。
ワシがギターを持つ姿なんぞ思いっきりブサイクである。
橘高を想像して何とか頭を振ってごまかそうとする。

でもやっぱブサイクはブサイクやろうなあ・・・

だが問題はギターソロである。
どんなソロだったかは自分がディレクションしてるからだいたい覚えているが、
それをあてぶりとは言え弾きマネなんぞ出来るはずがない。

いきなりブルースギタリストごとく、恍惚の表情で、せめて顔で表現しようとする。
願わくばカメラは指先のアップではなく顔をアップにしてくれることを祈って・・・

何がなんだかわからないまま本番が終わる。
こちらでは売れてるバンドはカメリハもサウンドチェックもないのである。
「ほなさいなら」
みんな三々五々解散する。
あてぶりも基本的にノーギャラらしいが、
せめてものお車代を渡すスタッフが笑いながらワシにこう言った。

「ファンキーも、ギターっつう顔じゃないわのう・・・」

情けない話である。
これがまた全国放送され、それを見た数億人の中国人は、
零点(ゼロ・ポイント)の新しいギタリストはこんなアホ面だと思うのであろう。

そんな中、木村さんがついに北京に到着した。
譜面は結局まだ半分しか出来上がっていない。
とりあえずは食事と酒にご招待する。
朝から晩までぐでんぐでんに酔っ払ってらっしゃる人だと思ってたら意外と
「ぼ、僕はそんな人が思ってるほど強いわけじゃおまへんのや」
と言うのでびっくりしていたら、
その日に焼酎のボトルが既に数本空いてしまったらしい。

マネージャー曰く、
「この人は暇やったらパチンコばっかしてまっからなあ」
と言うのを受けて、
「あ、メニューに”パチンコ”入れるん忘れた!!!」
と口走ってしまったらすかさず木村はん、
「あの曲は今は歌えまへんのや。昔のパチンコへの情熱と今とは違って来てしもたんで」

そうかぁ・・・あの偉大な名曲にもいろんな歴史があるんやなあ・・・

そんなことも言うとれん!家帰って譜面書かなアカンのや!
失礼して中座させてもらう。徹夜で譜面書きである。
電話が鳴る。零点(ゼロ・ポイント)のメンバーである。
「ファンキー、TDのスケジュールは決まったか?」
仕方がないのでライブ当日の同じ日に平行してTDである。
リハと本番の間に抜けてスタジオに行き、また本番が終わってからスタジオに駆けつける。

んなことやってたら死ぬわ!・・・

もうかれこれ2週間ろくに寝ていない。
それでもステージには穴は空けられない。
ましてはワシにとっては木村はんとは夢の競演である。
ステージ上、モニターから聞こえる木村はんの歌声が心に染みる。
ステージももう後半、
こちらで用意した北京のJazzミュージシャンがムーディーなイントロを奏で・・・

「シカゴに来て~2年がたった~だけどいいことありゃしねえ~」

ブラシをこすりながらこの瞬間にいきなり涙がどどっと出て来た。
木村はんから頂いたリストには入ってなかったが、
ワシからリクエストしてたっての願いで今回演奏リストに入れてもらった曲である。
続けて歌から始まる
「嫌んなったぁ~もうダメさぁ~」
でもうノックアウト。

「ワシ・・・何をやっとんのやろ・・・」

徹夜して譜面書くのも音楽である。
スタジオブッキングしてバンドをプロデュースするのも音楽である。
企業のCMソングを一生懸命アレンジするのも音楽である。

でも木村はんは・・・この”天使のダミ声”は、ずーっと違うところで生きて来た。
「俺はこう生きて来たんやし、これからもずーっとこう生きてゆくでぇ・・・
文句ありまっか?・・・いやーすんまへんなあ・・・そう言うこって!すんまへん!」
そう言いたいのか言いたくないのか、笑ってんのか泣いてんのか、
本気なんだか冗談なんだか、悲しいのか楽しいのか、そんな彼の音楽の、
いや人生の全てが歌にある。

天才や!

招待した北京の音楽友達、演奏しているJazzミュージシャン、
そして75人しか入れない限定の客全員がこの天使のダミ声に舌を巻いた。

終わってから無性に酒が飲みたくなった。
スタジオでは零点(ゼロ・ポイント)がワシの到着を待っている。
が、しかしワシは酒を飲む。
途中抜け出してスタジオに行き、スタジオのロビーでもまた酒を飲む。
一段落ついて戻って来てまた酒を飲む。

見るもの聞くもの全てが輝いて見える。
雲南省から帰って来た飲み友達のMeilingまでもがやたら美人に見える。
翌日になると全ては夢と消えるのかも知れないが、
今日だけはこの全ての輝きを身体いっぱいで味わって置きたい・・・

前日一睡もしてないのでその日はいきなり電池が切れるように潰れたらしい。
朝方になって胃痛でうなされている自分がいる。
「飲み過ぎじゃ!あのトラックと、このトラックをUndoすれば直るはずじゃ!」
目の前にはプロトゥールスの画面が現れて、
エンジニアに一生懸命胃痛の原因となったトラック(なんじゃそりゃ!)
をUndoして消去するように中国語で指示している。
目が覚めてアホかと思いならが便所で吐く。

高校生かい!

そう言えばワシは高校のときに初めて憂歌団を見て、
「大学行かずに大阪行ってブルースやるんや!」
と言って担任の先生を困らせたなあ・・・

翌日、そんなワシの幼き頃のアイドルは、昼間から万里の長城で観光。
ワシはと言えばまた別のレコーディングに呼ばれてドラムを叩く。
「まだこの上、別の仕事をするかい!」
しゃーないのである。音楽商売も言わば水商売。
全然仕事がない時もあればある時にはいろんな仕事がいっぺんに来る。
これで死んでも仕方がない。自分で選んだ道なのである。

思えばRockもJazzも、全ての音楽のルーツはブルースにある。
それにちょびっとリズムがついたのをおしゃれに「リズム&ブルース」と言う。
それを白人がやったら「ロック」と言われた。
黒人に言わせたら
「ど、ど、どんなんでもええねん。自分らしかったらそれでええねん(木村はん風)」
っつう状態を彼らはスラングで「ファンキーである」と言うらしい。
「お○○のスエた(ベタな関西弁やあ)ような匂い」を表すスラングでもあると言う。

だからワシはファンキー末吉と名乗ったのよ。
まあワシにはワシのブルースがあるわいな!!お○○スエててすんまへん!

ふぁんきーお○○スエ吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:53 | 固定リンク