おもろい話
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2021年03月15日(月)
師匠旅立つ!!

2021年3月15日、師匠の訃報を受けて・・・

「Funkyさんが一番影響を受けたドラマーって誰なんですか?」
中国に来てもよく聞かれる質問である・・・

そんな時は私はいつも
「日本には村上ポンタさんってドラマーがいるんだけど・・・」
と答えていた。

もちろん中国人は誰もポンタさんのことなんか知らない。
スタジオミュージシャン・・・つまりは「メインプレイヤー」ではなく、それをサポートする「バイプレイヤー」なのであるから・・・

数多くの名言を残した偉大なる「兄貴」であるが、師匠の名言の中で私が一番好きなのはこれである!!

「どんな歌手だって俺んところに来てみろ!!一番輝かせてやるから」

そんな師匠の背中を追っかけながら、今こうして海を越えて、中国で師匠と同じく「スタジオミュージシャン」として暮らしている・・・

日本では「爆風スランプ」の名前が大き過ぎて師匠のような音楽人生は送れない。
だから誰も爆風スランプなんか知らない外国に行ってゼロから裸でやり直したい・・・
そう思っていたのだろう・・・


まだ若かりし頃の私にはふたつの「夢」があった。

ひとつは「東京に行ってRockをやる」
もうひとつが「ニューヨークに行ってJazzをやる」

当時は私の住んでた四国の田舎街のレコード店でも、音楽のジャンルというのはRockだJazzだと細かく分類されてなかった時代である。
「演歌(歌謡曲)」と「ニューミュージック」とそれぐらいである・・・

その「ニューミュージック」というジャンルに「荒井由美」をはじめてとしてRockやJazzやBlues、あらゆる私の好きなジャンルの音楽がその中にあった・・・

思えばそのあらゆるジャンルのドラムを師匠は叩いていたのだ。
だから今でも私は「このジャンルは叩けない」と言うことだけは言わない。
いや、言わなくていいように師匠の背中をいつも見て頑張って来たのだ。


高校のカウンセラー室は当時私の個人部屋のようなもので、
熱血学園ドラマを見て脱サラして教師になったという熱血担任教師は、私の将来を心配していつもそこに私を呼び出していた。

「僕はもう学校やめて大阪に行ってブルースをやる!!」

そう宣言した私に先生は
「そうか、それも人生やのう・・・」
とそう言った。

結局は熱血先生の導きにより関西の大学に入ったので、一応その小さな「夢」はその段階でちょっと満足されている(笑)

でもその時に付き合ってた彼女に振られてから、本当に大学なんかやめて、東京かニューヨークに行くつもりになったのだが、何せ根がブルース好きで、田舎の社会人ブルースバンドでドラムを叩いてたりしてたので、そんな心情もありブルースばかりを聴いていた・・・

当時インターネットもない時代、四国の文化圏は完全に関西で、東京と言えばそれはそれはニューヨークと同じぐらい遠いところだった・・・
(最初に持った夢が東京やニューヨークではなく大阪なのはここに理由がある)

だから東京のアーティストの情報はあまり入らない。
日本のアーティストで聞くのと言えば全てが関西のブルースマンばかりである。

上田正樹とサウストゥーサウス、ウェストロードブルースバンド、入道・・・

そう、その社会人のバンドの人が関西のブルースシンガー入道さんのどこかのフェスティバルかなんかのライブ音源を持ってて聞かせてくれたのだ。

その音源はネットで調べたのだが見つからない。
歌ってたのは「A Change Is Gonna Come」か「Bring It On Home to Me」だっただろうと思うが、そのドラムを聞いて泣けて来た・・・

それがポンタさんのドラムである。

もちろん何も難しいことなんか叩いてない。
今にして思えばポンタさんの名言
「どんな歌手だって俺んところに来てみろ!!一番輝かせてやるから」
の真髄がここにあったのだ。

その時に心に深く刻まれた「村上ポンタ」という名前と再会するのは、学生時代にそれこそ(当時はCDなどない時代でアナログ盤だったので)擦り切れるぐらい
聞いたこの曲など・・・

ちなみに40年近く経って久しぶりにYouTubeでこの音源を見つけ、ちょうど娘を歯医者に送りに行ってた待ち時間に車で聞いていたら、歯医者から帰って来て車に乗り込んで来た娘がこの曲を聞いてこう言った。

「これパパが叩いてるがやろ?」

こんな父親なので小さい頃から私の母に育てられ、
「音楽なんかに興味持ったらいかん!!パパみたいになったらどうするがよ!!」
と言われ続けて音楽からは全く縁遠い娘が聞いても、これは私のドラムに似てると言うのだ!(◎_◎;)

いや、フレーズも似てるのかも知れないが、きっとその「歌い方」が似てるのだろう・・・

YouTubeとは便利なもので、こんな音源も見つけた!!

何なんだ!!この押しては引き、引いては押すドラミングは!!!
これもアナログ盤で擦り切れるぐらい聞いたなぁ・・・

クレジットを見ると、
1.RHYTHM ROAD   8:45   作曲:是方博邦 編曲:大村憲司
大村憲司:Guitar/村上"PONTA"秀一:Drums/小原 礼:Bass/坂本龍一:Keyboards/ペッカー:Percussion
というから、あの坂本龍一がスタジオミュージシャンとしてセッションしているのだから貴重なテイクである!(◎_◎;)


そんな憧れのドラマー、ポンタさんと最初に会ったのは新宿ピットインの楽屋、
「東京に行ってロックをやる」方の夢を選択して、爆風スランプでデビューし、念願叶ってパールドラムのモニターとなり、同じくパールのモニターであるポンタさんをパール楽器の人が紹介してくれたのだ。

「ニューヨークに行ってJazzをやる」という夢は叶わなかったけど、Jazzへの想いは立ち切れず、あの頃はJazzクラブに飛び込んではJazzばかりをやっていた・・・

だから憧れのポンタさんと会えたらJazzを教わろう、と漠然とそう考えてたのだろう、
「僕Jazzやってるんです。Jazzが好きなんです」
私がこう言った瞬間に、
「オメェ、インチキなんかやってんのか!!俺ゃインチキは大嫌いでよぉ」
と言い放ったポンタさん、スティック持ってSwingのレガート「チンチキ」を叩き始めた。

豪快に笑ったポンタさんだが、そこからは喧嘩自慢(笑)

「昨日よう、新宿でチンピラ5人に絡まれてよう、大立ち回りやって全員のしてやったよ、は、は、は」

もうね、どこで笑っていいのやらさっぱりわからない(笑)
口から飛び出す言葉だけ聞いてたらまるで「ヤクザ'」である。
しかし「任侠の人、頼り甲斐のある兄貴、ヤクザの親分(笑)」そんな感じのイメージを持って、それからポンタさんのことが大好きになる・・・

実際にポンタさんは非常に面倒見の良い人ではある。
それから会う度に私のことも可愛がってくれた・・・

当時、Jazzの武者修行でよく通ってたSOMEDAYという店に、ポンタさんが出るというので見に行った。

「おう、末吉くん!!(ポンタさんは私をこう呼んでた)よく来てくれたなぁ」
1ステージ目と2ステージ目の間に挨拶した私を自分の席に呼んで酒を飲ませてくれた。

そして2ステージ目が終わってアンコールが来ている中、席に戻って来たポンタさんは、「お前叩け!!」そう言って自分は座って飲み始めた。
もう全く自分で叩く気がない!(◎_◎;)

幸い、ギタリストの三好3吉功郎さんもベースのバカボン鈴木さんも知り合いだったので、紹介されるままにステージに上がったが、
「お客さんがアンコールをしてるのは私に対してじゃなくてポンタさんに対してでしょ?それなのに、それを押しのけて全く関係のない私が?・・・」
と思いながらも逆らうことは出来ないので(笑)そのままステージに上がってドラムを叩いた。

まあ1曲私に余興で叩かせて、あとはポンタさん自身が出て行ってシメるのかと思ったら、私の演奏が終わったらそのままその日のライブは終わった!(◎_◎;)

ポンタさんはと言えば、テーブルで浴衣姿の美女と酒を飲んでいる・・・

「おお、末吉くん、こっちで一緒に飲もう!!」
傍らの美女を私に紹介しながら、
「いい女だろ、銀座のホステスなんだけどよう、おっぱいもいいぞ」
と言って浴衣から手を突っ込んでおっぱいを揉む!(◎_◎;)

「やだわぁ、ポンタさんやめて下さいよ〜」
銀座などには飲みに行くことなどないが、なるほどあしらい方もどことなく品があって素敵な女性ではある。

それから何を話したかは覚えてないが、私にしてみたら、例え音楽のことでなくても憧れのポンタさんが話していることは全部私にとっては「勉強」である。

ところが、話している時に店で流れているBGMがうるさかったのか、もしくは気に入らなかったのか、ポンタさんはSOMEDAYのマスターに向かってこう怒鳴りつけた。

「BGMがうるせえんだよ!!止めろ!!」

SOMEDAYのマスターと言えば、ポンタさんに負けずと劣らず「強面(コワモテ)」である。
最初はマスターもポンタさんの発言を無視していたのだが、それにカチンと来たのかポンタさんがもう一回面と向かってこう言った。

「BGM止めろって言ってんのがわかんねぇのかこのヤロー!!」

「強面(コワモテ)」のマスターもこれには切れた。
「何やとお前!!もういっぺん言うてみぃ!!」

間に立っていると言うか、ちょうど二人の間に座っている私は両方を「まあまあ」と言ってなだめて、
「ポンタさん、どっか店替えて飲みに行きましょう」
そう言って別の店に行ったと記憶している・・・

次の店でどんな話をしたのかは全く覚えていない。
きっといつものごとく音楽の話などしてなかったのだろう・・・

でもそこでポンタさんが私に話してくれたことはきっと全て私の今のドラムに生きている・・・
今となって私はそう強く思えて仕方がない・・・


時はロックバブルの頃、全国の至るところでロックイベントが行われていたが、札幌でのあるイベントでポンタさんと一緒になった。

私は爆風スランプ、ポンタさんは泉谷しげるのバックで参加してたのだが、
会場は野球場だったので、ステージの後にも野球の控え室みたいなのがあり、ポンタさんは自分の出番が終わったらそこでどんと陣取って、若いドラマーのバンドを全部後ろから見ているのだ!(◎_◎;)

私はもう何度も会っていて気心は知れてるのでまだマシだが、他のドラマーにとっては、こうしてドラムの真後ろからポンタさんが腕組みをしてずーっと見ているというのは、それはやりにくくてたまらない環境だったに違いない(笑)

そんなドラマーのひとりにBUCK-TICKのドラマー「ヤガミトール」がいた。

どこで仲良くなったのかは忘れたが、一緒に飲んでいて、あのグッバイの衛藤浩一みたいな雰囲気で私にとっては非常に楽しい飲み友達であった。

私も金魚のウンコのようにポンタさんの隣で後のバンドのステージを見てたのだが、ヤガミトールもステージ降りたらすぐにポンタさんに手招きされて、説教(アドバイス?)をされて(笑)、そのまま私と一緒にポンタさんの「金魚のウンコ」となった(笑)

「イベント終わったら飲みに行こう」と言うのでイベンターが用意してくれたバーに一緒に行った。
ポンタさんの取り巻きはこの二人の「金魚のウンコ」だけである。

そりゃそうだ。恐れ多いのもあるが、何かにつけ「めんどくさい」(笑)

めんどくさいと言えばこの日はこんな事件もあった・・・
そのバーに遅れて入って来た、レッドウォーリアーズのギタリスト、シャケ。
久しぶりに会ったので挨拶を交わしていたら、ポンタさんが・・・
「こちらはどなたかな?紹介してくれないか?」
ヤクザもそうだが(笑)ポンタさんも初対面にはとても丁寧な喋り方をする・・・

「レッドウォーリアーズというバンドのギタリストでシャケです」
と私がポンタさんに紹介した。

シャケはポンタさんに勧められるままにこの「めんどくさい」テーブルに座った。

「レッドウォーリアーズって・・・ああ、あのバンドだね」
全部のバンドの演奏を(ドラマーの後ろから)見ているポンタさん、名前を聞いてサウンドも思い出したようだ。

「お宅のドラマーは今日来てないのかね?名前は何と言いましたっけ?」
そう丁寧に聞くポンタさんに私がこう答えたのがいけなかった。

「ああ、コンマくんですね?」
そう、ドラマーの小沼くんは呼びやすいからなのか当時みんなから「コンマくん」と呼ばれていたのだ。

「コンマくんって変わった名前だねぇ」
そう言うポンタさんに、私はどうやら言ってはいけないことを言ってしまったようだ。

「マンコばっかやってるからコンマくんって言われてるらしいですよ(笑)」

この言葉がポンタさんの逆鱗に触れた。
いや、私に怒ったのではない。コンマくんに怒ったのだ。

「あのぐらいのドラムしか叩けないのにマンコなんて10年早い!!今すぐ連れて来い!!」

!(◎_◎;)

私もそうだが、シャケも目を丸くして驚いている・・・

「シャケさん、でしたっけ?悪いことは言わない。あのドラマーじゃぁ君のメッセージは伝わらないよ」

(>_<)

いや、あの4人で頑張ってメッセージを伝えたからこそレッドウォーリアーズの今があるんだし、ポンタさんそれは〜・・・
などと思ったところで私もヤガミトールも金魚のウンコ風情がポンタさんに逆らったり意見したり出来るわけがない。

「俺・・・帰るわ・・・」
そっと私に耳打ちするシャケをうまくこのテーブルから逃がして、金魚のウンコふたりはポンタさんと「ドラムの叩ける店」に行こうということになった。

当時爆風スランプもアイドル的に売れていたので、物陰から私がバーから出て来るのをずーっと待っている女性ファンがいた。

私は知り合いでもなかったし、別に物陰から出て来る様子もなかったのでそのままにして通通り過ぎようとしたら、
「末吉くん、あの女性は君を待ってるんじゃないのかね?」
とポンタさんが言う・・・

「いや、ファンだとは思うのですが・・・」
そう言う私を叱り飛ばして、
「ダメじゃないか、女に恥をかかしちゃ!!君、今から飲みに行くから一緒に来なさい!!」
とその女性ファンを呼ぶ!(◎_◎;)

女性ファンも別にそんなことを望んでたわけではない。
ただひと目お姿を見れれば・・・みたいな感じではあるまいか・・・
知らない人から「一緒に来なさい」と言われたってどうしたいいかわからない・・・

私は自分からその女性のところに行ってお願いした。
「ごめんなさい、この人は私の一番尊敬するドラマーなんです。私の大親分みたいなもんです。その人があなたを呼べって言ってるんです。もしよかったらここはちょっと私の顔立てて一緒に来てくれませんか」

もの凄い困惑して最後まで辞退していた彼女を説き伏せて、この女性を加えた4人でドラムの叩ける店にやって来た。

噂に聞くとポンタさん、誰か大御所のツアーでイヤなことがあった時、この店のような土地土地のドラムを叩ける店で朝までドラムを叩いてたという話も聞く。

見てみたい・・・この日本最高峰のドラマーが、仕事ではなく「自由に」ドラムを叩くとしたら一体どんなドラムを叩くんだ・・・

ところが結局私はポンタさんのその日のドラムを全く覚えていない。
ただポンタさんとお話ししたことだけを覚えているのだ・・・

私はその連れて来た女の子にも非常に気を使っている。
こんなところに無理やり連れて来られたらやはり居場所もなく小さくなるのも無理はない。

色々気を使って女の子と話していたら、ある瞬間、ポンタさんはいきなりその女の子を怒鳴りつけた!!
「こらお女!!いい女ってのはなぁ、決して男に気を使わせたりしないもんだ。それを何だお前は!!」

そんなこと言われたって〜・・・女の子も泣きそうである。
「私・・・帰ります」

と言われたって帰られても困るなぁ・・・ポンタさんまた怒らないかなぁ・・・
などと思ったが全く気にする様子もなく、
「お前ももっと勉強してもっといい女になれよ」
ってな雰囲気である。

散々飲んで散々叩いて、帰り際にポンタさんは私にこう言った。
「末吉くん、俺は好きだよ、君のドラム・・・潔いからね」

潔い・・・いさぎよい・・・音楽用語でも何でもない・・・まるでヤクザの親分が子分を誉める時に使うような言葉に私は聞こえた・・・

この日は色んな笑い話があったが、結局私はポンタさんのドラムでも音楽の話でもなく、この言葉を一番大切に持ち帰った。


そして私は、師匠、私の師匠であるポンタさんは「潔い」を通り越した何かの境地にいるように私は感じている・・・

私もこのままこれを突き進めば、師匠のようにその先の「何か」に辿り着けるかも知れない・・・
そう思って今がある。

師匠のドラムは・・・いや師匠は・・・カッコいい!!
師匠のドラムは師匠の「人間」そのものなのである。

「無茶苦茶だなぁ・・・この人」と思ったことはここで書いたエピソードだけの話ではない。
でも師匠全体から見るとどこかピシッと一本筋が通っているし、何よりも人を惹きつけてやまない「魅力」がある。

だからこれだけドラムでその音楽を「揺さぶる」ことが出来るのだ。
師匠のドラムは師匠の「人生」そのものなのだ。


師匠の訃報を、私は中国さいはての街、ここ寧夏回族自治区で聞くこととなった。

残念ながら中国では師匠のことを知る中国人はいない・・・
でも耳の(感覚の?)いい人がもし師匠のドラムを聞いたら、
「え?このドラムFunkyさんが叩いてるの?」
と言うみたいなこともあり得るかも知れない・・・

よく中国の若いドラマーが私に教えを請いに来る・・・
その時に私は自分のブロークンな中国語を例に出してこう言う・・・

「俺の中国語を聞いて上手いと思うか?通訳やってるプロの方が全然上手い。でもお前はその人の話を聞きたいか?俺の話を聞きたいだろ。ドラムも同じだよ」

そう、速度300でひとつ打ちが叩けるドラマーが必ずしもいいドラマーではない。
「人を惹きつける」ドラマーこそがいいドラマーなのだ!!

そう言う時に、私の頭の中には常に師匠のドラムがあったのでは?・・・

とびっきり破天荒で、それでいて実はとってもちゃんとしてて、暴れ回ってるようで目一杯人を包み込む優しさを持っている・・・

師匠は先に逝ってしまったけど、師匠はいつまでも私の師匠である。

私は師匠ほどファッションセンスもよくないし女にもモテないけど、死ぬまでには師匠に負けないぐらい「カッコいい」ドラマーになっときますから!!

死んであの世とやらでまた飲むことがあったら、
「君の生き様は潔くって好きだよ」
ときっと言わせますから!!

そうなれるように頑張りますから!!
またあの世とやらで説教して下さい!!

それまで安らかに・・・R.I.P


カテゴリ:おもろい話, おもろい話(最優秀作品)
 
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