2016/06/15
豆豉鲮鱼油麦菜(DouChiLingYuYouMaiCai)と涮羊肉(ShuanYangRou)
油麦菜(YouMaiCai)という野菜はどうも中国にしかないようだ・・・
2003年にWyn Davisが初めて北京に来た時
「美味いなぁ、これ。何て言うんだい?」
と聞かれて辞書で調べたら適当なものがない・・・
「Chinese Lettuce」というのがあったので取り敢えず「中国のレタスだよ」と説明したことを覚えている。
中国語で料理の名前はそのまま材料を並べたり調理法と併記したりしてわかり易いが、
豆豉(DouChi)というのは黒豆の調味料、
鲮鱼(LingYu)というのも調味料というか、塩魚を小さくちぎったようなものである。
まあ要約すると
「中国のレタスみたいな野菜を塩魚と一緒に黒豆で料理したもの」
である。
こんなん・・・

決して高級料理でも何でもない。
これを最初に食ったのは2000年の頃、本格的に北京に拠点を移して間もない頃かな・・・
王暁旭(Wang XiaoXu)という男に奢ってもらって以来大好きになって、
それから今に至るまで野菜を食うというとこれを注文する・・・
この王暁旭(Wang XiaoXu)という男、ワシのことが大好きなのだろう(笑)
しばらく会ってないと思ったら「最近ヒマか?メシ食いに行こう」と誘って来る・・・
数年会わないこともあるが、そんなこんなで結構連絡だけは取るような友人のひとりである。
先日、彼に呼び出されて久しぶりにベロンベロンになるまで飲んだ。
今回はその時の思い出話から「人と人の付き合いはどうあるべきか」という話を書いてみたい・・・
まず、この映像が最近中国人の間で多く廻されている。
(スマホ等で映像が見られない方はこちらを〜)
ワシのことを知ってる人は「Funkyらしいな」と思うだろうし、
知らない人は「何だこの日本人スゲー!!」という感じらしい。
何よりも今や中国でベストプロデューサー賞をもらうような大プロデューサーになったLuanShuが手放しで絶賛しているのだ、「誰この日本人?」みたいな感じなのだろう(笑)
彼とはもう26年の付き合いになるが、
それこそどん底の頃から大成功の頃までずーっと一緒にいる「家族」のような間柄である。
ワシにはその他有名人の友人も非常に多く、
そのほとんどの人間はペーペーの頃からの付き合いなので、会えば
「久しぶりだなぁ!!偉くなりよってオメー」
ってな仲である(笑)
そんなワシの交友関係を見て小畑秀光はとても驚いて
「ファンキーさん、この国で一体何人の人間を助けて来たんですか?」
と聞くのだが、どうもこの
「助けて来た」
というニュアンスがあまりピンと来ない。
「僕なんか"こいつは助けてやんなきゃ"と思ったってひとりも成功してないんですよ。
こんなたくさんの人間が大成功してるってことはそれだけもの凄いたくさんの人間を助けて来たってことでしょ」
と小畑秀光・・・
まあ「確率論」としてはそうなのかも知れないがニュアンスがどうも違う・・・
その違いが今回この王暁旭(Wang XiaoXu)と飲んでて明確にわかったのだ。
ところで最近この王暁旭(Wang XiaoXu)の会社が羽振りがいいようだ。
中国大陸のプロデューサーと香港のプロデューサー、
台湾と韓国と、そして日本のプロデューサーでチームを組んで国際的なプロデューサー集団を作るんだと(笑)
まあ当然ながら日本人プロデューサーとしてワシの名前を使っていいかということで呼び出されたのだが、
(というよりその時点でもう名前を使っとる笑)
何やら会社の人間にどんどん昔の知り合いが増えとるようだ!(◎_◎;)

ワシの隣のDongLinと呼ばれる片手のない怪しい男は同じ会社であることは知ってたが、
真ん中の林峰(Lin Feng)という男は久しぶりにこの日会ってびっくりした。
張張(Zhang Zhang)が酒場でピアノを弾いてた時そこで一緒に歌を歌ってた。
ワシもその後映画音楽の仕事で1曲500元というタダみたいに値段で歌をレコーディングしてもらったことがある(笑)
今はもう歌は歌ってないらしいが、不動産を4軒も所有してて、嫁も子供もいてこの会社で働きながら幸せに暮らしているらしい・・・
実はあの頃、当時のワシの同居人だった森本くんという日本人が作って一晩大事に寝かしてたカレーをこいつら若いミュージシャン達が全部食ってしまって怒って大変だったのだ。
もちろん久しぶりの再会なのでたっぷりとそのネタで苛めてやった(笑)
そしたら罪滅ぼしか何なのか後に1曲アレンジの仕事をくれた!(◎_◎;)
まあ彼も彼で偉くなったということか・・・(笑)
そしてそれから王暁旭(Wang XiaoXu)の知り合いの店へとハシゴ・・・
そこで相変わらず見栄っ張りの王暁旭(Wang XiaoXu)は高級バーのその店長を呼び出してこんなことを言う。
「こいつは俺のマブダチでFunkyっていうんだ。
Funky、こいつはこの店の店長。
もう面通ししたからな!!
今後はいつでもこの店で俺のツケでいくらでも飲んでいい!!」
「いいよ、いいよ。酒ぐらい自分の金で飲むよ」
と遠慮するのだが許してくれない。
「バカ、絶対遠慮なんかすんなよ!!
お前は今後この店で一銭も払わず好きなものを飲み食いしていい!!
友達だって何人連れて来たっていい!!
絶対遠慮なんかすんな!!」
本当に遠慮なんかしたら殴られそうな勢いである(笑)
そこで彼はこんなことを言ったのだ。
「あの時、お前に奢ってやった豆豉鲮鱼油麦菜(DouChiLingYuYouMaiCai)、覚えてるか?
あれからお前は必ずあの料理を頼むよな。
実はあの頃、俺の給料は500元しかなかったんだ。
だからお前に奢ってやれるのはあの豆豉鲮鱼油麦菜(DouChiLingYuYouMaiCai)ぐらいが精一杯だった。
でも今の俺はお前が友達と毎日この店でどんちゃん騒ぎをするぐらいの金は払ってやれる。
だから絶対に遠慮なんかすんな!!俺のツケで飲みに来い!!」
ここで頭の中で何か「なるほどな」と思った部分がある。
北京に来て間もない頃、
LuanShuをはじめ、北京の若いロッカー達がなけなしの金でワシに涮羊肉(ShuanYangRou:ラムしゃぶ)を奢ってくれる・・・
「いいか、Funky、野菜なんか食うなよ。まず肉を食うんだ!!
そして肉で腹一杯になったらその隙間に野菜を食え!!」
今にして思えば当時貧乏だったロッカー達は、
精一杯の「気持ち」としてワシに「肉」をいっぱい食ってもらいたかったのだろう。
ワシはそれが「ロック」だと思って今だに涮羊肉(ShuanYangRou)を食う時には肉しか食わん!!(笑)
ある時、お袋を連れて北京に行った時、
「お礼に今日はお袋が日本料理を作ってご馳走するよ」
と選んだ料理は「天ぷら」・・・
市場に行って海老とか高級食材を買う分にはいい。
「天ぷら油ある?」
今では笑い話である。
「Funky 、実はあの時俺たちは貧乏でなぁ。
そんなにたくさんの油なんか手に入らないからご近所さんに借りに廻ってさぁ・・・(笑)」
そんなLuanShuもワシの結婚祝いに中古だが車を一台プレゼントしてくれるまでになったし、
今度日本に会社を作るらしいが、ワシもその株主に入れてくれてると言う・・・
要はその時にお互いに自分が出来る精一杯のことをお互いにやってあげている、
そしてその付き合いが当時よりも偉くなっても今も並行して同じように行われてるだけの話なのだ。
あの頃は楽器の買えない中国のロッカー達に機材や教材や音源などを買って持って来てやる財力がいくらでもあったが、今は金はないのでドラム叩いたりアレンジしたり、音楽で何かやってやるしかない。
今でも一緒に暮らしているが、
貧民街から今ではロックスターになった布衣(BuYi)の老呉(LaoWu)にもいつもこう言っている。
「いいか、遠慮なんかすんなよ!!
俺はお前らの音楽を助ける!!お前らは俺の北京での生活を助けろ!!(笑)」
ヤツらにとってはワシは確かに「恩人」ではあるが、
関係としては共に酒を酌み交わして夢を語る「友人」であり、
助けたり助けられたり、それこそ「対等」な関係なのである。
王暁旭(Wang XiaoXu)はこの日、とあるチベット族の歌手を連れて来た。
「こいつはちょっと難しいヤツでなぁ・・・漢民族に対しては俺以外には全然心を開かないんだよ」
などと言いながらワシを紹介した。

「Funky、こいつのアルバム手伝ってやってくんないか」
まあワシにとってはもう「金ならない」のだが、
幸い人に助けてやれる「音楽」だったらまだまだいくらでもある。
ふたつ返事で引き受けた。
ちょっとポーカーフェイスなヤツなのでワシに対して心を開いてるかどうかはわからない。
ただワシも中国ではプロデューサーとして有名なので非常に緊張していることはうかがい知れた。
そんなシャイな彼が別れ際に突然こんなことを言う・・・
「Funkyさん、僕、あなたのために1曲歌います」
酒場の前の道路に立って、通行人に見られるのも気にせず彼はワシの顔を見すえながらチベット語の歌を歌ってくれた・・・
そこで考える・・・
彼はワシに自分の歌の実力をプロモーションするために歌ったのか?
いや違う!!
身に余るほどの光栄のお礼に、貧乏な彼がワシにやってあげられることは「歌うこと」しかなかったのではないか・・・
今やワシのために車のみならず家の一軒ぐらい買ってくれるだろう「友達」もいる。
歌ぐらいしかワシにしてあげられない新しい「友達」もいる。
「大きなものをもらったからありがたい」のではない。
「自分の精一杯のものをくれた」ということがありがたいのである。
もしワシが「何だこれだけか」みたいに思うような人間だったとしたら・・・
きっと今のワシはないだろう。
同じように
「こんだけしたげたんだからFunkyさんはこんだけしてくれるだろう」
などと思っている人間だったとしたら・・・
人を利用する人間は所詮は人に利用されるのだ・・・
小畑秀光の質問に対する正しい答え・・・
ワシの周りに成功した人間が多いのは・・・
そんな素敵なヤツらが多かったからみんな成功したんですよ、きっと・・・
王暁旭(Wang XiaoXu)は次に飲んだ時にワシにこんなことを言ってた。
「あのチベット人歌手がさあ、まだ遠慮してんだよな。
遠慮なんかすんな!!Funkyは俺のマブダチだ!!
俺が頼んでんだからお前のアルバムぐらい喜んで作ってくれるさ」
おい!!(笑)
まあお前のためではなく、彼が一生懸命歌ってくれたその「心」に対して、
ワシが彼に出来ることは何でもやってやるよ・・・
お前には・・・じゃあその高級バーでお前のツケでガンガンに飲んでやるよ(笑)
・・・てなこと言いながらワシはきっとこいつに奢ってもらった豆豉鲮鱼油麦菜(DouChiLingYuYouMaiCai)のことをいつまでも忘れないのだ。
あの頃はみんな貧しかった・・・
でもそんな連中に奢ってもらった中華料理の味は今だに忘れない。
みんながみんな成功した・・・
今ではもっともっと高級な中華料理をいつでも奢ってくれる。
でもあの時の500元の給料の中から奢ってもらったあの豆豉鲮鱼油麦菜(DouChiLingYuYouMaiCai)や、ロッカー達がなけなしの金で奢ってくれた涮羊肉(ShuanYangRou)の味にはどんな高級な中華料理だって決して敵いはしないのだ・・・

