ファンキー末吉楽曲配信サイト

2015/11/05

中国でのインタビュー記事(翻訳)

先日ネットで仲間内が盛んにリツイートしてる記事があったので見てみると、ワシのことが書かれている記事だった。

自分の見られ方は日本と中国では大きく違っているが、
中国でもこれほど感激を与えてくれる記事は初めてだった。

猪俣未来さんという方が翻訳して下さったので、
原文と共にここに(注釈も入れつつ)残しておこうと思う。


关于funky桑,他们说:
2015-10-07 + Freak

ファンキーさんについて彼らが語ったこと

在中国摇滚历史上经常会有一些传说:
某一年,京城来了一个弹吉他特别牛逼的人,他无师自通,横扫京城,弹的出神入化,没人知道他什么来头,这人就是唐朝乐队吉他老五。

ある年、北京にとんでもないギター弾きが現れた。
その男は独学でギターをマスターし、その神業ともいえる演奏で北京中を荒らし回った。
彼がどこから来たのか、誰も知らなかった。
その男が、唐朝楽隊(楽隊=バンド)のギタリスト、老五(劉義軍)である。

又是某一年,来了一个日本人,他无意间听到了张楚的歌,深受感动,自此痴迷中国摇滚乐,留在中国,带来了很多的技术和先进理念,对中国摇滚乐有特别大的贡献,这人就是funky。

またある年、一人の日本人が中国を訪れた。
彼はたまたま張楚の歌(注:実は黒豹なんだけど張楚でも間違いではない)を耳にして深く感動し、それ以来中国ロックにのめりこむことになった。
彼は中国にとどまり、数多くのテクニックや先進の理念をもたらし、中国ロックに多大な貢献をした。
その人物が、ファンキー末吉氏である。

这张由FUNKY末吉觉牵头制作的专辑<亚洲鼓魂>,参与者有黑豹乐队吉他手李彤,前主唱峦树斌,唐朝吉他手刘义君,崔健乐队贝司手刘君利,面孔乐队贝司手欧阳,BEYOND乐队吉他手黄贯中,蒙古歌手图力古尔等人。

(これらの写真はファンキー末吉氏が制作責任者を務めたアルバム『亜洲鼓魂(アジア・ドラム・スピリット)』である。黒豹楽隊のギタリスト李彤、元ボーカル巒樹斌、唐朝のギタリスト劉義軍、崔健のバックバンドのベーシスト劉君利、面孔楽隊のベーシスト欧洋、BEYONDのギタリスト黄貫中、モンゴル人歌手トリゲルなど、そうそうたるミュージシャンが参加している。)

Freak:Funky曾任布衣乐队专辑的制作人,这样的传说是真的吗,到底有没有这么神?

ファンキーさんは以前、君たち布衣楽隊のアルバムのプロデューサーをしていたけど、ファンキーさんの伝説というのは本当なのかい? 本当にそんなにすごい人なの?(神という表現をしてる)(驚)

布衣乐队:有啊,他传授给我们一甲子的功力,开国际玩笑呢。

布衣楽隊: 間違いないよ。ファンキーさんは俺達に60年分のテクニックを伝授してくれたからね。冗談だけど。

苗佳:这个不是神,你去他的录音棚看他参与过的中国唱片就知道了,前后参与过几百张中国的原创音乐唱片,不管是主流还是摇滚,这对于一个音乐人来说,你能做这么多音乐简直太不可思议,他只用了二十年时间。

苗佳(布衣のギタリスト):ウソだと思うなら(神じゃないと思うならという表現をしている)(驚)、ファンキーさんのスタジオに行って、今までに参加した中国のアルバムを見てみればわかるよ。ポップスからロックまで、合わせて数百枚のオリジナルアルバムを制作しているんだ。一人のミュージシャンがこれだけの音楽を作れるっていうのは、全くどうかしてるぜ。だって、彼が中国で活動を始めてから、まだ20年しか経ってないんだから。

作为鼓手,合作过的音乐人有陈琳《爱就爱了》、杨坤《那一天》、韩红《红》、许巍《时光,漫步》《每一刻都是崭新的》《在路上》、汪峰《生无所求》、爽子《无能为力》等等。
作为编曲制作,合作过的音乐人有零点乐队,布衣乐队,李慧珍,艾梦萌等。

(ファンキー末吉氏がドラマーとして制作に参加したアルバムは、陳琳の『愛といえば愛』、楊坤の『あの日』、韓紅の『紅』、許巍の『時間よゆっくり流れろ』『1分ごとに新しい』『道の上で』、汪峰の『生無所求(1)』、爽子の『力不足』など多数に上る。
アレンジャーとしては、零点楽隊、布衣楽隊、李慧珍、艾夢萌などと合作している。)

吴宁越:你在中国想录一张牛逼的摇滚专辑就非常难,因为所有的录音室没那么多录摇滚乐队的经验,更没有那么多录优秀摇滚乐队的经验,所以技术水平还是有差距的,你看funky,他想得到的一个鼓,从日本拿过来,他为了一个牛逼的鼓的声音花了二十多年,他找到Wyn Davis才找着这个声音,完了他把那个录音师找到北京做了这个录音棚,他找了二十年的鼓,直接就传到我们这了,现成的就有了这个鼓的声音。

呉寧越(布衣のボーカル): 最高のロックアルバムを中国で制作するのはすごく難しいことだ。すべてのスタジオがロックのレコーディング経験が豊富なわけではないし、その中でトップレベルのロックバンドのレコーディング経験が豊富なスタジオなんてさらに少ない。技術のレベルにはまだ差があるんだ。
ファンキーさんを見てみろ、手に入れようとしたのはドラムの音だけだ。日本から来て、彼は最高のドラムの音、それだけのために20年以上費やした。彼はWyn Davisと出会って、ようやくその音を見つけることができた。Wyn Davisというレコーディングエンジニアを見つけ出して、ようやく北京に自分のスタジオを作ったんだ。彼は20年間探し続けたドラムの音を、俺達に直接伝えてくれた。すでに出来上がったものがあったから、俺達のドラムの音が作れたのさ。

Wyn Davis:Gun's and Roses、Doken、No Debut等乐队的录音师,除了布衣,他还参与过爽子专辑的后期缩混,7月份签约唱片公司的零点乐队,新专辑也将由Wyn Davis制作。

(Wyn Davisとは:Guns N' Roses、Dokken、No Doubtなどのレコーディングエンジニアで、布衣以外に、爽子のアルバムの後期ミックスダウンにも参加している。
今年7月にレコード会社と契約した零点楽隊のニューアルバムも彼の制作である。)

录吉他,录人声,他告诉你怎么怎么录,人声准不是最重要的,有感情是最重要的,就像每个人都有权利谈恋爱,一个穷光蛋一个残疾人,都是有谈恋爱,谈一段辉煌恋爱的可能性,所以这张专辑都是表达一种爱,和你准不准没啥关系,最重要是你有没有得到那份感觉,只有过来人才能告诉你这个话,而且只有过来人告诉你这个话你才会听,一个年轻人告诉我准不重要,我说去死吧你,对吧,你没资格说这个话。

呉寧越: ギターのレコーディングにしても、ボーカルにしても、ファンキーさんはどのように録るべきかという話を俺達にするんだ。ボーカルの音程が正確かどうかは二の次で、感情がこもっていることが最も大切なんだと。それは例えば、誰もが恋をする権利があって、貧乏人だろうが身障者だろうが、誰もが輝くような恋をする可能性がある、だからこのアルバムは、愛の一つの形を表現したものだ。音程が合ってるかなんてどうでもいい、いちばん大事なのは、君らが愛を表現するという気持ちを持ってるかどうかなんだよと。
こういうことが言えるのは、経験が豊かな人だけだし、またそういう人でないと、言っても誰も聞かないよね。どこかの若造が、俺に音程なんてどうでもいいなんて言ったら、お前死ねって言ってやるよ。そうだろ? そいつにそんなこと言う資格はないから。

但是他告诉我们很多这方面的经验,也给我们很多的帮助,从录音到做人,他大起大落最成功的时候,超级巨星,完了他告诉我们当巨星也没什么,他到中国就是因为不想当巨星,因为每天做太多的综艺节目,类似什么爸爸去哪儿这样的,每天大量时间消耗在那里,他觉得没意思。

だけどファンキーさんは、この方面のたくさんの経験を聞かせてくれたし、それが俺達にはすごく役に立っている。レコーディングについても、人としての振る舞いについても。
彼が一番成功してた時でも、要するにスーパースターなんだけど、スターになるなんでどうでもいい、スターになりたくないから中国に来たんだ、毎日たくさんのバラエティ番組、『父さん、僕達どこに行くの』みたいなやつに出て、そこで長い時間をムダにするなんてつまらんからな、と俺達に語っていたんだ。

他来到中国找摇滚乐找了一个星期,没找着,最后一天晚上碰到张楚,他跟张楚去看演出,去看黑豹演出,跟张楚去的时候是写好遗书的,因为这个太恐怖了,你一日本人到中国看摇滚乐,张楚那时候是胖子,rockrock的感觉,funky女朋友和工作人员一看说,你别去太危险了,funky写好遗书,早上七点如果我没回来就是我死了,回日本也别找我了。

彼は中国に初めて来た時、中国のロックを1週間探し続けて見つけられなかったんだけど、最後の晩にたまたま張楚と出会って、ついて行って黒豹のライブを観たんだ。張楚について行くとき、日本人が中国でロックを観るのがあまりにも危険な状況だったから、遺書を書いていったんだ。
あの頃張楚は太っちょで(注:呉寧越が後「太っちょ」ではなく「パンク」と訂正)、一目でロックな感じだったから、ファンキーさんの彼女もホテルのスタッフも、張楚を見たとたんに、危ないから行くなって止めるもんだから、ファンキーさんは明日の朝7時になっても俺が戻ってこなかったら死んだと思え、日本に帰っても俺を探すな、と遺書を書いたんだ。

他去看黑豹乐队,我草,太牛逼了,他说的是日本语言,在一堆中国摇滚青年中间喊日本语,你想想。栾树跟大家说,不要激动,这是日本歌迷,没关系,这是歌迷。然后funky说,我是日本人,我就喜欢中国摇滚。非常传奇的,特别有探险精神,他还去过朝鲜,从中国跨过鸭绿江,走过去又走回来,那是边界,分分钟有被打死的情况,跟他一起去的人,到鸭绿江就不敢走了,没有人再往前走了,他一个人从鸭绿江跨过去,跨回来。

彼が黒豹のライブを観た時のこと、俺はスゲェなと思ったけど、日本語しゃべったらしいよ。大勢の中国人ロッカーの中で、日本語で叫んでたんだぜ、考えてもみろよ。
(注:呉寧越が後に「日本語ではなく英語で『君たちと演奏したい、一緒にドラムを叩こう』と興奮して叫んだ」と訂正)
巒樹(当時の黒豹のキーボード担当)はみんなに、エキサイトするな、この人は日本人のファンなんだから大丈夫だ、って。ファンキーさんは、僕は日本人だ、だからこそ中国ロックが好きなんだ、と言ったんだ。まさに伝説だね。
ファンキーさんについて特にチャレンジャーだと思ったのは、北朝鮮にも行ったことだ。中国から鴨緑江(中国東北部と北朝鮮との国境の川)を越えて北朝鮮に行って、また戻ってきた。あそこはしょっちゅう人が殴り殺されてる国境で、ファンキーさんと一緒に国境まで行った人も、鴨緑江から先へは行かなかった。他に誰も行かなかったのに、ファンキーさんはたった一人で鴨緑江を越えて行って、戻ってきたんだ。

FREAK:这真的是人格魅力。

Freak: それはまさに人間的な魅力だね。

吴宁越:就有特别大的,这种探险的精神。

呉寧越: 特に大きいのはチャレンジ精神だよ。

FREAK:他现在也有演出,作为演出嘉宾你去的会比较多。

Freak: ファンキーさんは今も現役でライブをしていて、呉さんがゲストとして出ることも多いよね。

吴宁越:他就疯狂的要演出,因为他知道自己年纪大了,也不可能天天练,必须要大量的演出才能够保持自己的状态,他现在身边很多玩音乐的朋友都去世了,前两天还去世了一个,而且就在前几个月来中国我和们一起演出,还挺年轻挺健康的,突然心脏病发就去世了,这种对他刺激比较大,感觉分分钟就要挂了,所以每一场演出都是最后一场,尽量多一点演出,他这种态度,你说中国大乐手有几个能够弯下腰去这种小酒吧,没有吧,很少像funky这种超级巨星,就在这种地方演,他玩儿的是音乐,不是明星。

呉寧越: ファンキーさんはクレイジーなくらいライブをしたがってるよ。なぜかというと、ファンキーさんは自分がもういい年だし、毎日練習できる状況でもないから、自分のパフォーマンスを維持するにはライブを大量にやるしかないとわかっているからね。
ファンキーさんの音楽仲間の多くが、もうこの世を去っているんだ。ついこの間にも一人亡くなったし、それから何か月か前に中国に来て俺達と一緒に演奏した、まだ若くて元気そうな人が、心臓病で突然亡くなった。このことはファンキーさんにとって影響が大きくて、1分1分を大事にしよう、毎回のライブを自分の最後のライブのつもりでしよう、そして少しでも多くライブをしようと、そんなマインドでいるんだ。
中国の有名ミュージシャンの中に、こんな小さなバーでライブをしようなんて思う人間が何人いる? いないだろ? ファンキーさんみたいにこんなところでもライブをするスーパースターはごくわずかだよ。彼はどこまでもミュージシャンであって、タレントではないからね。

苗佳:funky桑是真的艺术家,他就算在一个特别小的酒吧里演出,他也要把他的头巾带起来,换上衣服,真的,这是日本音乐家跟中国最大的区别,特别职业。

苗佳: ファンキーさんは真の芸術家だよ。たとえ小さなバーでライブをするときでも、バンダナを頭に巻いて、ステージ衣装に着替える。ホントだよ?
そこが、日本のミュージシャンが中国のミュージシャンと一番違うところだね。本当にプロだよ。

吴宁越:尊重这个现场。

呉寧越: そういうライブには敬意を払うよ。

苗佳:因为我经常就会因为要多开十分钟车,我就少带两份效果器,特别有这种可能,今天演出只有一个我就马上会飞回来,能少带就少带,他绝对不会有这种,他们不是这样的,真不是这样的。

苗佳: 俺は、車で10分余分にかかるからとエフェクターを持ってこないことがしょっちゅうあるけど、今日のライブですぐ戻ってきたのは俺だけだったよ。
持ってこないで済むものは持たずに済ませよう、なんて考えは、ファンキーさんには全くないんだね。彼らは本当に、そういう人たちではないんだ。


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