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2010/02/27

80后のライブ

夕べはデブのキーボード
「ライブがあるんだけど見に来ませんか」
と言われたので行って来た。

9時からだというのでちょっと遅れて着いたら、
デブはおらず、ステージではDJが曲を流している。

80HouLive1.JPG

「ライブじゃないの?・・・」

どうもこのDJというものがワシにはよくわからない。
人の音楽を流すだけで何が「ライブ」なんじゃろう・・・

まあそんなことを言ってるからワシは「古い世代」なのじゃ。
何せこのデブらみんなは80年代生まれ、
「80后」と呼ばれる新世代なのだから・・・。

1時間ぐらいたってバンドが登場。

80HouLive2.JPG

DJの「機械のリズム」に合わせてインプロビゼーションを繰り広げる。

おっ、凄いぞ・・・

もともとこのデブはバカテク(死語?)であった。
初めて見た時に
「お前は中国Jazz界のトップになれるぞ!!」
と声をかけた。

彼もワシのソロアルバムを聞いて育った世代なので喜んで食いついて来た。
しかし後に彼はCとAとGのキーしか弾けないことが発覚。

「1オクターブは12音しかない!
だからあと9つ、
つまりあと3倍練習しろ!
そしたら全てのキーで弾けるようになる!」

このテクニックで全キーを制覇したら、
冗談じゃなく中国のJazz界、
いや世界的なプレイヤーになれるぞ!!

ワシは夢膨らんで彼にいろんなことを教えた。
コード理論やJazz理論、モード奏法からアウト奏法まで、
ありとあらゆる奏法を叩き込もうとしたのは、
当時ワシが北京に移り住んで一緒にバンドが出来るほどのレベルのプレイヤーがいなかったのが大きな理由であろう。

いないなら育てる!!
それだけのことである。

しかし彼はそれに背を向けてHip Hopユニットでデビューを目指した。

「アホか!お前はそれだけの腕がありながら歌謡界に行きたいのか!!」
さんざん彼に説教したが、
考えてみれば彼は20歳そこそこからもうキーボード一本で両親を養ってきてるのだ。
この中国でナンバーワンの「プレイヤー」になったところで大金持ちにはなれないが、
「スター」になったら想像もできない大金が転がり込むことになる。

仕方がないので彼らのデビュー曲をプロデュースしてやった。
これである。

まあ今聞けばなかなかよく出来た作品なのじゃが、
ワシは何か面白くなかった。

だってこれ・・・お前じゃなくても出来るじゃん!!
あの超絶ソロはお前じゃないと出来んもん!!

結局このユニットは思惑通りにデビューすることが出来ず、
彼はその後ワシの背中を見ながらスタジオミュージシャンとなった。
歌謡曲をプレイするので必然的に全キーで弾けるようにはなったが、
もうワシ自身が彼をJazzプレイヤーとして育てようという情熱は失った。

ところがライブでの彼のプレイを聞いて、
いきなり初めて彼と出会った時の衝撃が蘇った。

いつの間にやらアウト奏法、3拍フレーズはもちろんのこと、
それより難解である5拍フレーズまで自分のものにしてしまっている。

10年かかったがヤツはちゃんとワシの教えたことを身につけたんだ・・・

80HouLive3.JPG

歌手が登場した。
彼女が歌うアメリカンポップスをDJと共にデジタルにアレンジしているのが気持ちいい。

デジタルが中国のアレンジの主流となって、
ワシは1年寝ずに全てのデジタルソフトウェアを勉強し、
それをおしげもなく彼に教えた。
ソフトウェアを共有することによりワシが彼に仕事を振れるからだ。

こうして重慶雑技団をはじめとし、
数々の映画音楽、テレビドラマの仕事を彼に振った。

「こんな仕事・・・やってられるか・・・」
と、その後この世界に背を向けて、
デジタルからも背を向けてX.Y.Z.→Aのように身体張ってぶつかる音楽に戻っていったワシと違って、
彼はその全てを「自分の音楽」にした。

いや、もともと好きだったのだろう。
その好きなものを融合したらこの日のこんな音楽になったのだ。

最後にラッパーが出て来た。

80HouLive4.JPG

おいおいおい!!ハッパ吸うアクションで歌うなよ!!
10年前だったら即逮捕じゃぞ!!

平和である。
中国も平和になった。

そしてその中国を彼ら80后が引っ張ってゆく。

新世代が自分たちのやりたいことをやっているこのライブ。
ワシは非常に楽しまさせて頂いた。

デブは4月に来日し、筋少のエンゲキロックの仕事を手伝ってもらう。
3ヶ月も日本にいるのだ。
時間があればでもライブをやってもらうことにしよう。

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