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    <title>メルマガバックナンバー</title>
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    <updated>2011-05-18T21:36:00Z</updated>
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    <title>No.163 亜洲鼓魂コンサートへの道</title>
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    <published>2011-05-03T09:32:23Z</published>
    <updated>2011-05-18T21:36:00Z</updated>

    <summary>ことの始まりは酒飲み話であった。 （http://www.funkyblog.j...</summary>
    <author>
        <name>Funky Sueyoshi</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.funkyblog.jp/mailmagazine/">
        <![CDATA[<p>ことの始まりは酒飲み話であった。<br />
（<a href="http://www.funkyblog.jp/2011/04/post_626.html">http://www.funkyblog.jp/2011/04/post_626.html</a>）<br />
まあ仲間内の若いミュージシャン達が集まってワイワイやれればよい、と。</p>

<p>９６年に発売したワシのソロアルバム「亜洲鼓魂」は、<br />
今では中国のロックのバイブルとなってはいるものの、<br />
インストの数曲以外そのアルバムの楽曲を演奏したことはない。</p>

<p>まあいろんなボーカリストを集めて作ったアルバムだから仕方ないのだが・・・</p>

<p>しかしこのアルバムを聞いて育った若いバンドもいるわけで、<br />
「じゃあ僕、あの歌歌います！！」<br />
とか<br />
「じゃあ私、あの歌歌います！！」<br />
とか言う輩も現れる。</p>

<p>別に本当にあのアルバムに参加した、<br />
今では大スターになってしまっている本人を呼ぶ必要はない。<br />
誰かが歌ってさえくれれば楽曲は再現出来るのだ！！</p>

<p><br />
というわけで突然だったがライブハウスを押さえた。<br />
両個好朋友というライブハウスで、<br />
オーナーは以前うちの院子に住んでたりしたので、<br />
開店当初からいつも遊びに行っている。</p>

<p>今ではアンダーグランドではナンバーワンのライブハウスになってしまい、<br />
増築し、機材もリニュアルしたりしていて羽振り良さそうにも見えるが、<br />
その実、ワシらのような「友達」が毎日入り浸ってタダ酒を飲んでいるので、<br />
実際の経営状態のほどはよくわからない・・・。</p>

<p>実際ワシは自分で金を払って飲んだことがほとんどない！！</p>

<p>オーナーがいる時は、ヤツもドラマーでワシを崇拝しているので、<br />
「ファンキーさん、今日は何を飲みますか？」<br />
と来る。</p>

<p>「ワインが飲みたいかな・・・」<br />
などと言うとフランス産の高級ワインが１本そのまま出されたりするから驚きだ。</p>

<p>オーナーがいなくても誰か「友達」がたむろしているので、<br />
「よ、ファンキー！今日は何飲む？」<br />
とばかり何でも酒を持って来てくれる。</p>

<p>まあよくも悪くも素敵な店である。</p>

<p><br />
スケジュール的に前もってリハーサルをするのは無理だから、<br />
当日早く集まってリハをしようということで２時に集まった。</p>

<p>ベースは今では若手ナンバーワンのセッションミュージシャンになってる韓陽（HanYang）、<br />
彼は出かける前に中国のツイッター<br />
（いわゆるアメリカのTwitterは国がブロックして接続出来ないので中国独自のがある）<br />
でこのようにつぶやいている。</p>

<p>「みんな亜洲鼓魂って知ってる？<br />
僕が小さい頃聞いて感激して身震いしたアルバム。<br />
そしてこの作者、実は長年に渡って中国の音楽を助けて来て、<br />
同時に僕たち若いミュージシャンを育てて来た。本当に感謝したい！！<br />
そして今晩、恐らくこのアルバムが出てから初めてこの曲がライブで演奏される。<br />
きっと僕は感激でまた身が震えると思う」</p>

<p><br />
小屋に着いたら別の人がパーティーをしていた。<br />
この小屋は外に広々としたオープンテラスがあり、<br />
中でがんがんに音を出してても外で問題なくパーティーが出来る。</p>

<p>今からの季節、暗いライブハウスの中で酒を飲むより、<br />
広々とした外で酒を飲むのが人気で、<br />
最近では羊の丸焼きが出来るオーブンを設置している。<br />
（<a href="http://www.funkyblog.jp/67a00debjw1dgt49xrrgfj.jpg">http://www.funkyblog.jp/67a00debjw1dgt49xrrgfj.jpg</a>）</p>

<p>昼のパーティーでも羊の丸焼きがオーダーされ、<br />
業者が外で捌いていた。<br />
（<a href="http://www.funkyblog.jp/KaoQuanYangZhunBei.JPG">http://www.funkyblog.jp/KaoQuanYangZhunBei.JPG</a>）</p>

<p>「アジの開き」ならぬ「羊の開き」である。</p>

<p>かくいうワシも実は夜のライブのために２匹オーダーしている。<br />
肉代で１万円ぐらい、それに輸送費と炭の代金等もろもろ合わせて、<br />
まあ日本円で１万５千円ぐらいであろうか・・・</p>

<p>最初は入場料をみんなに分けずに羊肉にしようという考えもあったが、<br />
まあせっかく集まってくれたみんなにギャラが羊肉っつうのも悪いから、<br />
結局羊肉は１０元で売って、<br />
それで足りなかったらワシが自腹で出そうということになった。</p>

<p>「何時に焼き上がるようにする？」<br />
というので、<br />
「１匹は開演前の９時、もう１匹は終演後の１２時にしてくれ」<br />
とオーダーしたが、そもそもこれが間違いの始まり。</p>

<p>こんな美味い羊肉を食ってビールを飲まないというわけにはいかないので、<br />
出番前だとワシは飲み食いが出来ないのじゃ・・・</p>

<p>一応金を出したのはワシなので焼き上がった羊に最初にナイフを入れる。<br />
一口頬張るが非常に美味で、<br />
ドラム叩けなくてもたらふく羊食ってビールでも飲みたいところじゃが、<br />
仕方なく一口で我慢してステージに上がった。</p>

<p>そしてその瞬間にその１匹の羊は<br />
あっと言う間に周りの人間の胃袋へと消えてしまっていたのだ・・・（涙）</p>

<p><br />
そしてライブ終了後、もう１匹の羊を焼いている。<br />
ワシは片付けなどしながら、<br />
「出来上がったら必ずワシに声をかけろ！！」<br />
と強く言ってたが、<br />
駆けつけた頃には既にほとんどなくなっていた・・・（涙）</p>

<p>ま、いい！！これだけの人が食べたんだから１０元とは言え、<br />
まあ羊肉代ぐらいは出ただろうと思いきや、<br />
何と誰も金を払って食ってない！！</p>

<p>しゃーない！じゃあ入場料から少し融通してもらうかと思ったら、<br />
何と誰ひとりとして入場料払って来ていない！！</p>

<p>みんな「ファンキーの友達」でタダで入っているのだ！！</p>

<p><br />
まあしゃーない！！ワシもいつもタダで入ってタダ酒飲んでいるのだ。<br />
ありがたい話は、<br />
参加した全てのミュージシャンはギャラをもらうつもりで来ていないことである。</p>

<p>キーボードの雷子（Leiz）は終演後に中国のツイッターにこうつぶやいている。</p>

<p>「今日はとっても楽しかった。<br />
舞台袖で韓陽（HanYang）と話してたんだ。<br />
僕たちがみんな小さい頃に聞いてたあの曲を、<br />
今日は僕たちが演奏したんだよ、って」</p>

<p>韓陽（HanYang）はこうつぶやいている。</p>

<p>「僕はもうNew Beeee!（Fuckin' greatの意）としか言いようがない。<br />
このようなパワー、このような激情、<br />
そしてこのような年齢のこのような青春！！<br />
ロックとは素晴らしきかな！！<br />
パワーと希望の源、羊肉を一緒に食べましょう！！」</p>

<p><br />
残り物の骨の周りについた羊肉を頬張りながらしばし飲んだ。<br />
そして次のライブがまた酒の勢いで決まった！！</p>

<p>７月１７日（日）<br />
同じくここ両個好朋友にて、<br />
「ファンキー末吉５２歳の誕生日を迎えて、<br />
５２歳と４日後に初めてドラムを叩くバースデーパーティー」</p>

<p>しかもこの日は昼間っからぶっ続けて４時間叩き続けます！！<br />
昼間誕生日パーティー、夜はライブという声もありましたが、<br />
ワシはドラム叩く前は酒が飲めんので昼からライブします！！</p>

<p>チケット代は５２歳にちなんで５２元！！<br />
おつりは出しません！！</p>

<p>小銭のない人は６０元でも１００元でも払って、<br />
おつり分はファンキーさんの誕生日プレゼントにして下さい！！</p>

<p>この日は友達と言えど、<br />
誕生日プレゼントと思って必ず金を払って下さい！！！</p>

<p><br />
次回はリハーサル時間もあるので、<br />
たっぷりリハーサルもして亜洲鼓魂の中のいろんな曲を演ろう！！<br />
出来たら全曲演奏するぞ！！</p>

<p>あとはワシが中国で参加したあらゆる楽曲。<br />
アレンジしたのもあるし、<br />
ドラムを叩いた曲は数限りなくある。</p>

<p>４時間ぐらいのメニューは楽勝である。</p>

<p><br />
次こそはたらふく羊の丸焼きを堪能させて頂きたい！！</p>

<p><br />
ファンキー末吉<br />
</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>No.162 日本国籍なのに教育を受けられない問題について</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.funkyblog.jp/mailmagazine/2011/02/no162.html" />
    <id>tag:www.funkyblog.jp,2011:/mailmagazine//4.1456</id>

    <published>2011-02-25T06:02:06Z</published>
    <updated>2011-02-25T07:13:28Z</updated>

    <summary>日本国籍なのに北京の日本人学校に入学を拒否され続け、 結局１年以上教育を受けられ...</summary>
    <author>
        <name>Funky Sueyoshi</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.funkyblog.jp/mailmagazine/">
        <![CDATA[<p>日本国籍なのに北京の日本人学校に入学を拒否され続け、<br />
結局１年以上教育を受けられてない子供をしばらく我が家に引き取って、<br />
ファンキー村の子供達の通う小学校に通わせている。</p>

<p><br />
父親が日本人で母親が中国人、<br />
家庭内言語が中国語というと私の前妻との生活と同じである。</p>

<p>この子は１年間は中国の学校に通っていたのだが、<br />
父親がガンで他界してしまい、<br />
母子家庭となってしまっては今ではその高い授業料も払えない。</p>

<p>ちなみにうちの子供も一時期北京の学校国通わせたことがあるが授業料は年間８万元、<br />
当時のレートで１５０万円近い金を払って通わせてもらってた。</p>

<p>基本的に中国の学校は中国人に勉強させる学校であって、<br />
外国籍の子供を入学させるのはそれこそ「袖の下」しかないのだ。<br />
この金額には「寄付」とかいろんな名目の金が含まれていたと聞く。</p>

<p>しかしそれは「中国」という国の問題なのだからとやかく言う筋合いの問題ではない。<br />
結局私の家庭はそのまままた日本に引っ越して来て<br />
子供を日本の学校に入学させたので問題なかったが、<br />
この家庭ではそのような「身より」がない。</p>

<p>しかし国籍は日本人なのだからと北京日本人学校に入学を申し出た。<br />
将来は亡くなった父親の国で子供を育てたいという気持ちもある。</p>

<p>しかし日本人学校はこの子の入学を断った。</p>

<p>理由は最初は、<br />
「両親が日本人で労働ビザを取得してなければダメ」<br />
とかいろいろ言ったらしいが、<br />
中国の当局からそのようなお達しがあったからと言いながら、<br />
当局に問い合わせたらそんなお達しはしていないと言うし、<br />
その後何度も足を運び、その度にいろんな問題を提示されたと言うが、<br />
最終的には「この子の日本語能力」ということで面接を受けることとなった。</p>

<p>それからである、毎回毎回面接の度に<br />
「だいぶうまくなったけどもう少しだねえ」<br />
と言いながらこの学校はこの子を１年以上そのまま放置している。</p>

<p>つまり面接だけを受けさせてずーっと教育を受けささなかったということである。</p>

<p>これは教育者というより日本国民、もしくは「人間」としてどうなのだろう。<br />
この子が１年以上教育を受けてないことを知りながらずーっとそれを続けていたのである。</p>

<p>「他の道を提示してもらえれば別の方法もあったのに」<br />
と母親、そしてそれを援助して来た亡き父親の友人達は嘆く。</p>

<p>見るに見かねて私は持ち前の「おせっかい」を始めた。<br />
「とりあえず問題は何だ？<br />
当面の問題はこの子が義務教育を受けられてないことではないか？<br />
だったらすぐにうちに来て学校に通わせよう」<br />
というわけである。</p>

<p>もちろん日本の学校は日本国籍の子供を、<br />
いや、外国籍の子供さえ拒むことをしない。<br />
「日本語学級」なる日本語を喋れない子供の補習を行うシステムもある。<br />
学校に慣れるまでボランティアで通訳がついてくれるシステムまである。</p>

<p>いざ通い出してみると担任したいろんな先生、特に日本語学級の先生は<br />
「日本語ちゃんと喋れるじゃない」と口を揃えて言う。</p>

<p>では北京日本人学校が言うその<br />
「日本語のレベルが達してない」<br />
というのはどこまでのレベルを言うのだろう。</p>

<p>「他の生徒の勉学のさまたげになるから」と言うが、<br />
現実この子はさまたげになるどころか、<br />
問題の読解力が低くてすむ算数などでは満点を取っているし、<br />
友達も出来て１ヶ月もたたない間にクラスに溶け込んでいる。</p>

<p>赤の他人である私が、<br />
「いやそれは大問題だ。まずはこの子に教育を受けさせよう」<br />
と思って行動するというのに、<br />
当事者である教育者がそんな必要など全然考えず、<br />
その子が教育を受けられてないのを知りながらずーっとそれを放置し続けたというのはどういうことなのであるか・・・</p>

<p><br />
私は彼を日本に連れて来る時に次のような書簡を大使館に届けてくれるよう人に託した。<br />
<a href="http://www.funkyblog.jp/2011/01/post_595.html">http://www.funkyblog.jp/2011/01/post_595.html</a></p>

<p>この問題は各地でいろんな波紋を起こし、<br />
当の学校側はこれをUPした私のブログを直接見ることとなったようだ。</p>

<p>間に立ってくれて学校側と話をしてくれてる方は、<br />
「お前が出て来ると話がややこしくなるから」<br />
と言うので全部お任せしているが、<br />
それでも学校側は<br />
「面接をして、レベルに達してなければ容赦なく切り捨てる」<br />
という立場を固持しているらしい。</p>

<p>そしてその「レベル」というのは一体どういうレベルなのかを<br />
相変わらず絶対に明らかにはしない。<br />
ただ面接して自分が「達してない」と感じれば容赦なく切り捨てるということだ。</p>

<p>現状のようにちゃんと日本の学校に通え、<br />
逆に日本語学級からは「レベルに達している」と判断されてても、<br />
この人達が「達してない」と思えばまたこの子は切り捨てられるのだ。</p>

<p>日本国籍ではあるが中国で生まれ育ち、<br />
現状中国人の母親と二人暮らしのこの子に<br />
どうして彼らの満足するような「完璧な日本語」が習得出来ましょう。</p>

<p>私のブログを見たいろんな方が自分の住むところの日本語学校についての意見をくれた。<br />
香港や青島の日本語学校では基本的に受け入れる方針だと言うが、<br />
上海の日本人学校では<br />
「義務教育なんて日本に住んでる子供だけのもんだ！！<br />
どんな子でも全部受け入れてたら職員がノイローゼになってしまうだろうが！！」<br />
と逆切れされたと言う。</p>

<p>ヒドい話である。<br />
そのおかげで彼のように日本国籍を持ちながら教育を受けられてない子供が生まれようが<br />
自分達は何も関係ない、職員の方が大切だということなのか。</p>

<p>この問題は想像していたより根が深いということがわかった。<br />
続報はまたブログの下記のカテゴリーにUPしたいと思うが、<br />
<a href="http://www.funkyblog.jp/cat41/">http://www.funkyblog.jp/cat41/</a><br />
どなたか文部省か教育委員会に近い人間はおりませんか？・・・<br />
</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>No.161 一夜にしてスターになったロックシンガー</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.funkyblog.jp/mailmagazine/2011/01/no161.html" />
    <id>tag:www.funkyblog.jp,2011:/mailmagazine//4.1455</id>

    <published>2011-01-24T06:00:32Z</published>
    <updated>2011-02-25T07:11:47Z</updated>

    <summary>李漠(LiMo）というシンガーがいる。 もともとはLuanShuから 「売れない...</summary>
    <author>
        <name>Funky Sueyoshi</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.funkyblog.jp/mailmagazine/">
        <![CDATA[<p>李漠(LiMo）というシンガーがいる。</p>

<p>もともとはLuanShuから<br />
「売れないとは思うんだけどいいシンガーがいるんだけど何とかなんないか？」<br />
と相談を受け、<br />
「じゃあバンドを」<br />
ということで若いミュージシャンを紹介し、<br />
「ほなアルバムでも」<br />
ということでうちで１枚アルバムを作ってあげた。</p>

<p>ちなみにもちろんタダである。</p>

<p>この李漠(LiMo）というシンガー、お世辞にも美人ではない。<br />
年も若くないし、当時はちょっと太っていたので、そのブサイクかげんに<br />
「ええなあ・・・これがロックやで」<br />
といつも言ってたら「失礼でしょ」周りの日本人にたしなめられた。</p>

<p>いやいやこれがいいのよ、ブサイクでちょっとおばはん入ってて、<br />
「私にはロックしかないのよ」<br />
と歌う彼女の歌はじゅうぶんワシの心を動かした。</p>

<p>うちは新しく方言(FangYa)というアホなエンジニアがやって来たところだったので、<br />
そいつの鍛錬と、まあ中国ロックのために人助けだと思ってやってたら、<br />
いつの間にやらずーっと１年以上レコーディングをしていた。</p>

<p>ま、いい。<br />
どうせこんな女性ボーカルが歌っている「とびっきり素敵なロック」なんて、<br />
世界的なバブル全盛のこの中国では売れるわけはないのだ。<br />
くだらない商業的なことは考えず、<br />
思いっきり自分のやりたいロックをやればいい！！</p>

<p>１年以上かけて出来上がったアルバムを聞いたLuanShu、<br />
「これは売れないだろうけどとてもいいアルバムだ」<br />
とばかり彼女と契約し、<br />
方言（FangYan)のやったミックスの少々の手直しとマスタリングをして世に出した。</p>

<p>ところがこの時に少々の問題が勃発。</p>

<p>このアルバムの名義はバンドではなく彼女個人の名義で発売したのだ。<br />
会社としては彼女個人と契約したんだから彼女名義でアルバムを出す。</p>

<p>しかしそうなると今まで一緒に頑張って来たバンドのメンバーはどうなる？</p>

<p>聞けば彼女は会社から１万元の契約金をもらっていて、<br />
これは持ち込んだ音源の原盤も含まれているというが、<br />
それならばワシのスタジオとて何もオイシイところはない。</p>

<p>何も金の問題ではない。<br />
もともとどうせ金にはならないのだ、<br />
この１万元をワシによこせとかいう問題ではない。</p>

<p>このアルバムの原盤はスタジオを提供したワシにある。<br />
アレンジはバンドみんなでやったのだから彼らにもある。<br />
それをみんなに何も言わずに金だけ自分が受け取るとは何事じゃ！！</p>

<p>・・・とワシは彼女を呼んで説教した。</p>

<p>頃は同じく彼女は結婚した。<br />
こんなブサイクな女と結婚する物好きはどんな男かと思ったら、<br />
酒場で彼女の歌を聞いて見初めたサラリーマンらしい。<br />
なかなか目がいい、いや耳がいいと言うべきか・・・</p>

<p>「私が惚れたのはあんたじゃなくあんたのドラムよ。<br />
ドラム叩けなくなったら離婚するから」<br />
と言うワシの嫁の顔が目に浮かぶ・・・</p>

<p>とにもかくにももともとド貧乏なロック歌手である彼女は、<br />
１万元ぐらいのはした金はその結婚式で全部使ってしまった。</p>

<p>売れもしないCDを発売したLuanSHuの会社も、<br />
別にそれ以上彼女に払う金もないし、<br />
そもそもこんな音楽にはその「生むべき金」がない。</p>

<p>CDを出したからと言って仕事が増えるわけでもなく<br />
彼女は相変わらずのド貧乏なロック歌手なのである。</p>

<p>ワシは言った。<br />
「じゃあワシがお前に１万元貸してやろう。<br />
その金をみんなで分けて、<br />
いくらもないだろうが今後のライブでの収入の中から少しずつ返すか、<br />
もしくは同じことだからバンドのメンバーと話して、<br />
今後１年なら１年、ライブの収入をバンドのメンバーと分ける約束をするか、<br />
ふたつにひとつだ！！」</p>

<p>印税のない中国の音楽界は、<br />
その収入の全てはライブの売り上げにかかっている。<br />
ワシは２０年この世界にいるが、<br />
その命綱であるライブ収入をバンドと分け合おうと言った歌手はいない。</p>

<p>「お前な、別に売れなかったらそれはそれでもいい。<br />
人の恩をそうやって返して笑われたらそれですむ。<br />
でも万が一売れたら全ての中国人は表面でお前のことを褒めながら、<br />
心の中でお前のことを軽蔑する。<br />
そんな人間にお前はなりたいのか？」</p>

<p>ワシの突拍子もない申し出を持って帰って数日後、<br />
彼女から電話があった。</p>

<p>「ファンキーさん、決めました。<br />
私は今後１年のライブの収入をバンドのメンバーと、<br />
そして条件が許せば方言(Fang Yan)にPAエンジニアとして来てもらって、<br />
彼も含めてみんなで分けます」</p>

<p>ワシはこの話は非常に嬉しかった。<br />
中国の芸能界の歴史でこんなことを申し出た歌手はいない。<br />
額面ではうちのスタジオの実入りはないが、<br />
なに金の問題ではない！気持ちの問題なのだ。</p>

<p>こうしてこの一件は問題なく解決したと思ってたある日、<br />
ワシはまたLuanShuから頼まれて映画音楽の仕事をした。</p>

<p>北海道をロケ地として撮影され、<br />
その成功によって中国人旅行者が北海道に大挙して押し寄せるブームとなった、<br />
その映画の続編を作るというので呼ばれたのだ。</p>

<p>そして中国じゅうが期待するその続編の、<br />
テーマソングを李漠(LiMo）が歌うこととなった。</p>

<p>監督はLuanShuの面子を重んじて、<br />
この大作のテーマソングを誰も知らないぽっと出の彼女に歌わせることを承諾したのだ。</p>

<p>記者会見の会場に呼ばれた彼女、<br />
慣れない化粧とドレスに身を包み、<br />
普段はバンドと一緒に歌っているのにこの日はたったひとりで、<br />
緊張のあまり音も外しながら、<br />
何百台のカメラの前でこの歌を歌った。</p>

<p>その模様は全国に生中継され、<br />
映画の映像を使って監督自ら編集されたそのPVは、<br />
どのテレビチャンネル、どのネットサイトでもそれを見ない日はない。</p>

<p>LuanShuはワシに電話かけて来てこう言った。<br />
「ファンキーありがとうな。<br />
おかげで彼女のサイトは２日で一千万ヒットを越えたよ」<br />
そのヒット数は日を追うごとに記録を更新している。</p>

<p>かくして彼女は一夜にして大スターになった・・・</p>

<p>そんなある日、<br />
LuanShuが新年会と自分の誕生日も兼ねてパーティーを開いた。<br />
会場は超豪華な彼の乗馬クラブである。</p>

<p>もともと彼は乗馬クラブをやっていて、<br />
ワシは北京に行くとよくそこに泊まりに行ってた。<br />
そこにはBaNaというロシア人がいて、<br />
その他モンゴル人のジョッキー達やいろんな人がいたが、<br />
その後その乗馬クラブを閉めることになってから会っていない。</p>

<p>そんな懐かしい友達とこの日再会した。<br />
一緒にホットワインをしこたま飲んだ。</p>

<p>ワシの記憶が正しければ、<br />
ホットワインという飲み物はあの日、<br />
当時黒豹のドラムである趙明義のドイツ人の彼女であったアンディーが、<br />
同じくこの日のように寒い日のパーティーの時に作ってくれたのが、<br />
中国人が初めてホットワインを飲んだ日である。</p>

<p>同じ仲間と同じ飲み物を飲みながら昔話に花が咲く。</p>

<p>「みんな偉くなっちゃって変わっちゃったね」<br />
とワシは言う。<br />
「人は変わらなければ生きてゆけないんだよ」<br />
とBaNaは言う。</p>

<p>あの頃はみんな金がなかった。<br />
何にもない趙明義をけなげに支えるアンディーのことをみんな大好きで、<br />
こいつには彼女しかいないと思ってたのに、<br />
彼はあんまり美人でない彼女と別れて、<br />
後にはキャバレー（売春あり）を何軒も経営し、<br />
「俺は嫁はいないが２００人のお姉ちゃんといつでもセックス出来る」<br />
という人間になった。</p>

<p>あの頃、安酒飲んでロックと夢と、そんなアホな話ばかりしてた仲間達は、<br />
今では会っても車の話と家の話、女の話と商売の話、<br />
世知辛い話ばっかで何も面白くない。</p>

<p>「あの時代はもう帰って来ないんだ」<br />
とBaNaは言うけど、<br />
ワシは何とかかろうじて生息している貧乏なアンダーグランドバンドと一緒に暮らしている。</p>

<p>泣いたり笑ったりふたりでいろんな話をしているうちに、<br />
ふと会場の片隅で居場所もなくひとりでぽつんと座っている李漠（LiMo）を見つけた。</p>

<p>「よっ！！一夜にしてスターになった気分はどうだい！！」<br />
さっそく呼びつけてからかってみる。<br />
しどろもどろにジョークを返す彼女を見てワシは全部理解した。</p>

<p>「周りが突然あまりにも変わってしまって、自分の居場所がなくって困ってるんだろ」</p>

<p>先日の焼き肉にも顔を出さなかった。<br />
「彼女どうして来ないんだ？」<br />
とみんな言ってたが、彼女の今日の表情が全てを物語っている。</p>

<p>ワシはこう言って彼女を慰めた。</p>

<p>「俺が昔スターだった話、知ってるか？<br />
このBaNaと知り合った頃、日本ではちょうど今のお前みたいな感じだった。<br />
バンドが好きでドラムが上手くなりたいだけの人間がある日スターになっちまって、<br />
居場所がなくって中国に逃げて来た。<br />
でもなあ、今でこそわかる。<br />
スターなんて砂で出来た城みたいなもんだ。<br />
それをみんながむしゃらに守って生きている。<br />
場違いなテレビとか毎日駆り出されるだろ？<br />
右見ても左見ても大スターばかり。<br />
俺もあの頃は"こんなスター達の中で何で俺がいるんだ"と思ってた。<br />
でもそのスター達だって逆に<br />
"すっげー！！ロックスターが今隣にいる"<br />
とか思ってビビってんだ。<br />
そんなもんさ」</p>

<p>事実この日の李漠（LiMo）の周りは大スターばかり。<br />
ワシは彼らがペーペーの頃から一緒だから何も思わないが、<br />
さすがに初めてここに放り込まれたらそれはビビってこうなるのもわかる。</p>

<p>「確かにお前はずーっとアンダーグランドの人間だった。<br />
金にもならないロックを歌っているバンドのボーカルだ。<br />
そして今もしょせんはそうなんだ。<br />
そのことにコンプレックスを持ってたってしかたない。<br />
むしろそのことに胸を張れ！！誇りに思え！！」</p>

<p>中国の芸能界の歴史の中でも、<br />
若くもない、美人でもない、ただロックが好きで歌がうまいだけの人間が、<br />
ある日を境にに突然大スターになるなんてことはなかなかない。</p>

<p>「お前は俺たちと一緒なところで生きて来た人間だ。<br />
それが何かの運命でここに来た。<br />
日本で俺がそうなった時は俺はそれに背を向けて逃げて来た。<br />
でもお前は逃げずに頑張るんだ。<br />
お前が頑張ればアンダーグランドの人間みんなが幸せになれる」</p>

<p>数ヶ月前彼女を呼び出して説教をした時には、<br />
誰も彼女がこんなになるとは夢にも思ってなかった。</p>

<p>ワシだって彼女がその後こんなことになるとは夢にも思ってなかった。<br />
しかしこれも運命である。</p>

<p>間に合った！！</p>

<p>彼女は既にバンドメンバーに電話をして、<br />
今後１年の自分のギャラをみんなで分けたいと申し出ている。</p>

<p>ほんと、間に合ったのである。<br />
今日はベースの韓陽と会ったが、<br />
みんな彼女の成功を祝福している。</p>

<p>このまま彼女が一本何十万元の歌手になっても、<br />
自分のところにその４分の１が入るなんて思ってない。<br />
要はその「気持ち」が嬉しいのだ。</p>

<p>「お前はな、いつまでたっても俺たちと一緒なところにいる。<br />
お前が生きて来たところに胸を張れ！！<br />
そこには奴らがいて俺がいる。<br />
お前はそこにもいてここにもいる、そんな数少ない人間のひとりなんだ！！」</p>

<p>セッション大会が始まり、<br />
今までどこに言っても隠れるように隅っこで隠れていた彼女も、<br />
いつの間にか大スター達のマイクを奪ってハナモゲラで歌を歌う。<br />
スター達だってしょせんは一皮向けばワシらと同じアホばかりなのである。</p>

<p>「もう帰ります。今日はほんとに・・・初めて楽しかった・・・」</p>

<p>彼女はそう言って先に帰って行った。<br />
これでもうしばらくはこの世界でも迷うことなく生きてゆくだろう。</p>

<p>またもし迷うことがあったらワシがいる。<br />
一緒に頑張って来たバンドメンバーがいる。<br />
「変わらなきゃ生きてゆけない」世の中でも、<br />
ずーっと変われなくて不器用に生きている仲間もいるのだ。</p>

<p>頑張れ李漠（LiMo）！！アンダーグランドの星！！<br />
俺たちはずーっとお前を見守っているぞ！！</p>

<p>ファンキー末吉<br />
</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>No.160 著作権フリー楽曲「ご自由にお使い下さい」</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.funkyblog.jp/mailmagazine/2010/11/no160.html" />
    <id>tag:www.funkyblog.jp,2010:/mailmagazine//4.1396</id>

    <published>2010-11-27T02:13:47Z</published>
    <updated>2010-12-15T17:26:53Z</updated>

    <summary>著作権フリー楽曲「ご自由にお使い下さい」 -------------------...</summary>
    <author>
        <name>Funky Sueyoshi</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.funkyblog.jp/mailmagazine/">
        <![CDATA[<p><a href="http://web.me.com/funkystudio2000/LicenseFreeSong/Index.html">著作権フリー楽曲「ご自由にお使い下さい」</a></p>

<p>----------------------------------------------------------------------</p>

<p>和佐田仕切りの長いツアーに出ている。</p>

<p>移動してドラム叩いて酒飲んで、また移動してドラム叩いて酒飲みながら、<br />
<a href="http://www.funkyblog.jp/cat15/cat11">中国で抱えてる３つの仕事</a>をこなしながら、<br />
友人から頼まれたとある声優さんの歌う曲の作曲の仕事もやっていたのだが、<br />
ふと思うところあって<br />
「この曲は著作権フリー楽曲にして誰にでもご自由に使ってもらったらどうだろう」<br />
と考え始めた。</p>

<p>ことの顛末は<a href="http://www.funkyblog.jp/2010/11/post_563.html">ブログに上げた</a>が、<br />
もともと「この曲がボツになったらこうしよう」と確信犯で考えていた。<br />
<a href="http://blog.goo.ne.jp/m-niihara/e/f39bfb183ca48e1a6cef3ae340dec835">二井原がブログでも書いているような</a><br />
これは決してクライアントを「聞く耳がない」などと避難しての行動ではない。</p>

<p>日本ではRUNNERやリゾラバなどのヒット曲の印税で<br />
今だに著作権収入を得ている立場でありながら、<br />
中国で長く仕事をしていると「これでいいのかな」と思うことがたくさんある。</p>

<p>別に中国の擁護をしているわけではないのだが、<br />
必ずしもアメリカや日本が考えていることが絶対正しいとは経験上盲信は出来ない。</p>

<p>日本やアメリカは社会があまりにシステマライズされ過ぎていて身動きが取れない。</p>

<p>例えば中国ではビデオからDVDに移行するのは非常に早かった。<br />
というかビデオなんか一瞬で消えていきなりDVDから始まった。<br />
長い間鎖国してたも同然なんだからビデオなんか普及する間もなくDVDの時代になったのだ。</p>

<p>例えばCDというパッケージ商売が衰退してゆくことが言われ出して久しいが、<br />
日本やアメリカのようにそれで商売している人が非常にたくさん存在している以上、<br />
それがDLビジネスに移行するにはある程度長い時間をかけないと社会が崩壊してしまう。</p>

<p>ところが弱肉強食の中国はそんなことおかまいなしである。<br />
白い猫でも黒い猫でもネズミさえとればいい猫なのである。<br />
システムが確立してないので移行もスムーズというわけである。</p>

<p>音楽がデジタルになって、<br />
昔は一生懸命CDにプロテクトをかけてダビングささないようにしていた時代は今は昔。<br />
今ではご存知の通りそれを自由にダビングして楽しめるように、<br />
映画のDVDなどもそのうちそうなって来ることは間違いない。</p>

<p>全てがそのようになっていってはいないか？・・・</p>

<p>長い時間をかけて時代は「中国式」に移行していると考えるのはワシだけか？・・・<br />
まさか中国のように<br />
「音楽は空気です。儲けるのは歌手だけです」<br />
みたいにまではならないとは思うが、<br />
例えばワシらの時代にまことしやかに囁かれていた<br />
「著作権登録せな損するよ」という神話はもう崩れ出している。</p>

<p>インディーズのバンドはもう高い金払ってCDにJASRACのシールなど貼らないし、<br />
「音楽はCDを手売りして儲けるものだ」みたいな風潮が確かに生まれて来ていると思う。</p>

<p>「およげたいやきくんが印税ではなく買い取りだったために大損した」<br />
という神話は、レコードが売れなくなって久しい現代となってもまだそうなのか？</p>

<p>ワシ個人にとっても全ての楽曲をそんなに後生大事に「印税」にする必要があるのか？<br />
などと考えてるうちについついこのようなやり方を選んでしまったというわけだ。</p>

<p>このような形で発表した楽曲の権利関係がどうなるのかは現在弁護士と相談中だが、<br />
基本的にワシの目的はこの曲が皆に愛されて、<br />
若いアマチュアミュージシャンが自由に詞をつけたりアレンジをしたり、<br />
歌手の卵やアマチュアバンドが自由に「自分の曲」として歌ってくれることである。</p>

<p><a href="http://web.me.com/funkystudio2000/LicenseFreeSong/Index.html">こんなサイト</a>を立ち上げて<br />
ツイッターでそれを呟いたら反響がもの凄く大きく、<br />
いろんな人が歌詞やDEMOを送ってくれて<a href="http://web.me.com/funkystudio2000/LicenseFreeSong/Gallery.html">ギャラリー</a>まで立ち上げた。<br />
まだ４日目だが動きはだんだん加速しているように感じる。</p>

<p>そして何よりも音楽業界に対するインパクトが大きかったのか、<br />
二井原は連日のようにブログでこのことをネタにし、<br />
<a href="http://blog.goo.ne.jp/m-niihara/e/062142370ce648952b4a26fb231f7f3d">http://blog.goo.ne.jp/m-niihara/e/062142370ce648952b4a26fb231f7f3d</a><br />
<a href="http://blog.goo.ne.jp/m-niihara/e/f85eb1ba476785e4abc7eaff7de3d25a">http://blog.goo.ne.jp/m-niihara/e/f85eb1ba476785e4abc7eaff7de3d25a</a><br />
<a href="http://blog.goo.ne.jp/m-niihara/e/c80ae6e4961d47a33517b87a8cf10b45">http://blog.goo.ne.jp/m-niihara/e/c80ae6e4961d47a33517b87a8cf10b45</a><br />
業界人の知り合いからもいっぱいメールをもらった。</p>

<p>ワシが「ドラマー」として銭金なくいろんなセッションをするように、<br />
詞をつけるのがプロの人、アレンジすることがプロの人、<br />
そして歌うことがプロの人もよかったらちょっと肩の力を抜いてみて、<br />
商売抜きでこの「遊び」に参加してみませんか？<br />
きっと楽しいと思うよ。<br />
いや、ワシはもう十分楽しい・・・</p>

<p>ファンキー末吉</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>No.159 いい話３連発</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.funkyblog.jp/mailmagazine/2010/11/post_3.html" />
    <id>tag:www.funkyblog.jp,2010:/mailmagazine//4.1374</id>

    <published>2010-11-05T15:22:18Z</published>
    <updated>2010-12-15T01:22:35Z</updated>

    <summary>先月末から田川ツアーを廻ってて、 東京に２日間だけしかいたけど家には半日しかおら...</summary>
    <author>
        <name>Funky Sueyoshi</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.funkyblog.jp/mailmagazine/">
        <![CDATA[<p>先月末から田川ツアーを廻ってて、<br />
東京に２日間だけしかいたけど家には半日しかおらず、<br />
また中国に来てドラムクリニックツアーを廻り、<br />
１１日の二井原R&B大阪のためだけに日本に帰り、<br />
関空からとんぼ返りしてまた中国でツアーを廻り、<br />
戻ったら米川ほーじんセッションをやってすぐに和佐田是方の秘蔵っ子対決ツアーを廻る。<br />
願ったりかなったりの旅から旅の生活なのだが、<br />
その中でちょっとほろっとする昔話といくつか出会い、<br />
ブログに上げたやつだけどここに配信します。<br />
（ブログ読んでる人は読み飛ばして下さい）</p>

<p>こんないろんなことがあったからまた１２月１２日の爆風再結成ライブが楽しみです。</p>

<p>----------------------------------------------------------------------<br />
第一話：ツアーの思い出：名古屋ELL<br />
（2010年11月 2日）<br />
----------------------------------------------------------------------</p>

<p>名古屋はELLというライブハウスでやらせて頂いて、<br />
そこの名物オーナーしげさんと味仙でメシ食いながら昔話に花が咲いた。</p>

<p>名古屋ELLは昔は地下にあるそれはそれは小さなライブハウスだった。<br />
名物オーナーのしげさんは当時植木屋として働きながら、<br />
合間に手作りで店を仕上げてELLが出来上がった。</p>

<p>爆風がライブをやった時、<br />
客がほとんどいないのに河合が客席にダイビングして椅子を壊し、<br />
「俺が植木屋やりながら作った大事な椅子を壊すとは何事じゃ！！」<br />
とさんざん説教されたのを覚えている。</p>

<p>また言っちゃ悪いがこのしげさん、人相が悪い。<br />
奥さんのぞうさんがまたちょっとケバい系の美人なので、<br />
ぱっと見はヤクザとそのスケと言った出で立ちである。</p>

<p>そんなのに本気で説教されたんだから河合がかなりびびってたのを覚えている。</p>

<p>もともとそんな無茶するバンドと知りながらブッキングしたのはしげさん本人である。<br />
客も全然入らないのに好き好んで毎月毎月ライブをブッキングし、<br />
ついでに全国のライブハウスに<br />
「おもろいバンドがおるで」<br />
と紹介して毎月毎月爆風スランプは大きくってすいません号でツアーをしてた。</p>

<p>デビュー前のアマチュアバンドである、客なんか入るわけがない。<br />
多くても１０人、少ない時はステージ上のメンバーより少ない。</p>

<p>それでも懲りずにブッキングしてくれて毎月毎月ツアーをしていた。</p>

<p>毎月毎月ライブやってるもんだから名古屋では<br />
「爆風スランプは名古屋のアマチュアバンドだ」<br />
と客はみんな思っていた。</p>

<p>いや、全国各地のライブハウスの客もそう思ってたのかも知れない。</p>

<p>そんな中、サンプラザ中野はMCでこう言った。<br />
「僕たちやっとCBSソニーからデビューすることになりました！！」</p>

<p>その時の客の反応が面白かった。<br />
全員が全員口を揃えて「うっそー」と言って笑うのである。</p>

<p>地元名古屋のアマチュアバンドだと思ってたおかしなバンドがデビューする・・・<br />
そんな噂の相乗効果もあってか、いつの間にやら動員数は桁外れに増えた。</p>

<p>当時<br />
「どこそこのヘビメタバンドがどこそこのライブハウスで動員記録を塗り替えた」<br />
という時代である。<br />
もともとそんなに客なんか入れない小さなライブハウスのELLであるが、<br />
しげさんは<br />
「じゃあ次は爆風2DAYSやろう！！」<br />
という暴挙に出た。</p>

<p>ELLで２日間で６００人・・・<br />
これは物理的に塗り替えようがない爆風の持つELLの動員記録である。</p>

<p>当時のELLを知る者はみんな言う。<br />
「あの店のどこにそんなに客が入れるんですか？・・・」</p>

<p>しげさんは無茶をやった。<br />
立錐の余地もないほど客が入り、<br />
外にも入り切らない客が並んでる状態でまず演奏を始め、<br />
わーっと前に客が押し寄せて後ろに出来た隙間にまた客を入れる。</p>

<p>元々小さな地下室である。<br />
天井も低いし酸素も少ない。<br />
カウンターでタバコを吸おうとしたしげさんが<br />
「ライターの火がつかんがねー」<br />
と言ってた状態でこれだけ客を詰め込むとどうなるか・・・</p>

<p>後ろから押されて前の方の客が次々と失神してゆく・・・</p>

<p>いや、ステージ上で演奏しているワシら自体がもう酸欠で失神寸前なのである。<br />
この上、後ろから押されている小さな身体の女子は体力のない順に倒れてゆく・・・</p>

<p>その失神した客をスタッフがステージから救い出して、<br />
楽屋を通って外に出す。<br />
そしたらまた前に詰まって後ろにちょっとだけ隙間が出来るのでそこにまた客を入れるのである。</p>

<p>当時ライブハウスで押されて死人が出たりしていた時代である。<br />
この動員記録はその後物理的に破ることが出来ないようになった。</p>

<p>当時はライブハウス全盛の時代である。<br />
爆風のようにライブハウスからメジャーシーンに躍り出たバンドが山ほどいた。</p>

<p>しかし時代は変わる・・・</p>

<p>メジャーになればブッキングは事務所管轄になり、<br />
そこと関係が深いイベンター預かりとなる。<br />
イベンターは「ライブハウスの次はホールだ」とばかりホール展開し、<br />
「ライブハウスはアンダーグランド」というイメージが定着する。</p>

<p>ロックが「ビジネス」となってしまい、<br />
「ライブハウスはホールに行くまでの足がかりだけ」<br />
という図式になってしまったのだ。</p>

<p>これでは一生懸命ライブハウスのオーナーがバンドを育てたところで、<br />
おいしいところは全部イベンターが持って行ってしまうということになる。</p>

<p>その後ビジュアル系のブームが来て、<br />
店に出るバンドにいつものように説教していたしげさん、<br />
「お前らそんなヘタクソでどうする？！！もっと練習せい！！」</p>

<p>あるバンドは深くその言葉に聞き入り、<br />
「わかりました。僕ら今日解散します」<br />
にはぶったまげたと言うが、<br />
言うことをよく聞いたバンドは逆に動員数が減っていったりしたと言う。</p>

<p>当時ビジュアル系に若い女の子が売春して貢いでた事件が問題になったりもしたが、<br />
そんなファン達が<br />
「あのバンド、うまくなっちゃってもう私たちがいなくても大丈夫」<br />
とばかりヘタクソなバンドの方に走っちゃうと言うのだ。</p>

<p>あの頃の時代・・・それはバンドは「上手い」ことだけが命だった・・・</p>

<p>俺もほーじんもそれに命をかけていた。<br />
「この世界、ナメられたらおしまいじゃ！！」<br />
そう思ってた。</p>

<p>三井はんや和佐田がいた「ITACHI」もそうだった。<br />
対バンした時の態度がすこぶる悪かった。<br />
「お前ら、爆風がなんぼのもんじゃ！！ワシらの方が数段上手いんじゃ！！」</p>

<p>対バンとは即ち「音で喧嘩！！」<br />
勝敗は「上手いか下手か」である。<br />
「俺は上手いから偉そうにしとる！！<br />
ヘタクソは楽屋のすみっこで小さくなっとれ！！」<br />
ってなもんである。</p>

<p>時代も変わり、しげさんも大人になり、<br />
もう出演者に説教をすることもなくなった。</p>

<p>そのせいかどうかはわからんがELLはホールクラスの大きなライブハウスとなり、<br />
動員数の少ないバンドも出演出来るよう小さなELLも作り、<br />
しげさんも今では４件のELLのオーナーである。</p>

<p>いろんな伝説を作った昔のELLはもうない。</p>

<p>最後に出たのはX.Y.Z.→Aの最初のツアーである。<br />
メタルがこんなしんどいもんだとは知らず、<br />
関西四国８本連続のツアーを組んだ最終日がELLだった。</p>

<p>宣伝もしてないので動員数も少なかったが、<br />
ツアーの最終日には噂が噂を呼び、<br />
小さなELLが超満員になった。</p>

<p>当然ながら酸欠である。<br />
薄れる意識の中であの遠い日のELLを思い出した。</p>

<p>おりしも同じ日、中野と河合は営業の仕事で同じく名古屋に来て、<br />
アコギでランナーと旅人よをやって新幹線で帰って行ったが、<br />
俺と和佐田はあいも変わらず車を運転して酸欠ライブをやっている・・・</p>

<p>生きている世界が違うのである。</p>

<p>ああ、そう言えば俺たちもあそこでいたこともあったなあ・・・<br />
でも今はやっぱりここで生きている・・・</p>

<p>だから俺はあいも変わらずツアーを廻るのだ・・・</p>

<p>----------------------------------------------------------------------<br />
第二話：ポール（梅原達也）<br />
（2010年11月 3日）<br />
----------------------------------------------------------------------</p>

<p>今回のツアーは４４マグナムのポールこと梅原達也が、<br />
何と京都と大阪の２本、遊びに来てくれてステージで一緒にセッションした。</p>

<p>彼がパーキーソン病にかかり、<br />
それでも頑張って歌い続けていることは皆の知るところである。<br />
（関連動画）</p>

<p>久しぶりに会った彼は少し元気そうでちょっとだけ安心した。</p>

<p>しかし現代医学を持っても完治は難しいという現代の奇病である。<br />
薬とかでちょっと状態がいいだけで決して治っているわけではない。<br />
このまま病気が進行すれば、歌うどころか動くことすら出来なくなるのだ。</p>

<p>京都では風邪気味だったのでお先に失礼したが、<br />
大阪では最後までゆっくり一緒に飲んだ。</p>

<p>昔話に花が咲く・・・</p>

<p>関西メタルブームのまっただ中、<br />
他のバンドより頭ひとつ抜きん出てそのブームを牽引してたのが４４マグナムである。</p>

<p>爆風スランプの「たいやきやいた」という曲の前口上でいつも、<br />
「アクションはおじんだ！！<br />
ラウドネスは天狗だ！！<br />
そして４４マグナムはバカだ！！」<br />
と叫んでいたが、<br />
実は私は彼らとは面識がなかった。</p>

<p>何かの映像で彼らを見た時、<br />
「ヤバいぞ、これは・・・こいつら・・・ハンパじゃない・・・」<br />
と思ってマジでビビった。</p>

<p>折しも関西のメタルバンドが東京のライブハウスに乱入し、<br />
東京のバンドと血みどろの喧嘩が起こっていた頃である。<br />
こんなことをステージで言ってたらそのうち標的にされ、<br />
俺はきっと奴らに殺されるんだ・・・と本気でビビった。</p>

<p>「よし！！何とか本人達と仲良くなろう！！」</p>

<p>末吉ならではの処世術である。<br />
パール楽器を通してまずドラムのジョー、<br />
そしてその近所に住んでいたジミーとバン、<br />
最後にボーカルのポールにやっとたどり着いた。</p>

<p>九段会館でのコンサートの時、<br />
「ステージを見に来てくれ」<br />
と言って本人の前で「４４マグナムはバカだー！！」を絶叫した。</p>

<p>マグナムが解散してからも時々飲んだりしてたし、<br />
パーキーソン病を煩ってからもポールポジションで一緒にツアーを廻ったりしていたが、<br />
今回ひょんなことからライナセロスの話が出た。</p>

<p>「ほーじん元気かなあ・・・」</p>

<p>バンドをやってるといろいろある。<br />
ほーじんも爆風銃への書簡で言ってるように、<br />
爆風だっていろいろあった。<br />
ある時期ほーじんと私が憎み合わねばならなかったように、<br />
ポールとほーじんもいろいろあったと聞くが、<br />
なーに年をとるということは素晴らしいことである。</p>

<p>いやなことから忘れてゆくのだ・・・</p>

<p>私は迷わずすぐにほーじんに電話をかけた。<br />
携帯も持たずに突然旅に出て連絡が取れなくなるスタッフ泣かせの男が、<br />
この日だけは何故かワンコールで電話に出た。</p>

<p>二人がこうして電話で話すのも十数年ぶりであろう。<br />
電話に割り込んで私はこう言った。</p>

<p>「今月18日の米川君とのセッション、<br />
ポールも病状がよかったら来てもらおうや」</p>

<p>この日は江川ほーじん6DAYSの初日である。<br />
私は次の日からまたツアーに出るが、<br />
ポールの体調さえよければ6日間いつでも来て歌って帰ればいい。</p>

<p>自宅からの送り迎えが必要だが、<br />
なーに、下戸のほーじんが喜んでやってくれるだろう。</p>

<p>電話を切って飲み会もお開きとなり、<br />
ポールとも別れて和佐田とホテルに帰る道すがら、<br />
私はこんな提案をした。</p>

<p>「なあ、週末とかなあ、<br />
みんながヒマな時、店でポールの日やらんか？<br />
もちろん病状が芳しくない時はドタキャンあり！<br />
チャージ無料のおひねり制！！<br />
ポールの送り迎えは俺がやるわ・・・」</p>

<p>それを聞いた和佐田、ちょっとだけ間をおいてこう言った。<br />
「そやなあ・・・ワシらがあの店立ち上げたのはひょっとしてこのためやったんかも知れんなあ・・・」</p>

<p>この病気は現在のところ完治する見込みはない。<br />
こうして今は酒が飲めてても明日はどうかわからない。<br />
今日は歌が歌えてても明日歌えるという保証はないのだ。</p>

<p>麻痺でろれつが回らないポールと<br />
シンバルで耳がやられて難聴の私が<br />
酔っ払って会話してると実は大半が聞き取れてなかったりする。</p>

<p>しかしポールははっきりとこう言った。<br />
「歌いたい」と・・・</p>

<p>よし、手始めには18日のほーじん米川セッションやな。<br />
早起きして迎えに行くか・・・</p>

<p>----------------------------------------------------------------------<br />
第三話：Sからの贈り物<br />
（2010年11月 5日）<br />
----------------------------------------------------------------------</p>

<p>昔いっしょにつるんでいたSから突然メールが来た。</p>

<p>「末吉さんご本人にどうしても連絡が取りたい事があり、<br />
どこに連絡すれば良いのか分からなく、こちらにメールしました。<br />
お手数ですが、ご覧になられましたら、<br />
以下の連絡先を末吉さんにお伝えいただけますでしょうか」</p>

<p>おいおいそんなにかしこまらんでもこのメアドはワシ個人のやぞ！！<br />
というわけで懐かしくなってその連絡先に電話をした。<br />
なんと２０年振りである。</p>

<p>「おうっ！！久しぶりやないかい！！何やってんねん！！」</p>

<p><br />
Sは当時１７歳、同じアミューズのタレント部門所属だった。</p>

<p>もともとワシに引き合わせたのはまだ売れない頃の福山雅治だったのだが、<br />
当時ふたりともそれはそれは金がなく、<br />
武蔵小山のJazz屋で合うといつもふたりに酒を奢ってやってた。<br />
覚えてないがS本人曰く、「毎日奢ってもらってた」そうである（笑）</p>

<p>どちらも当然ながらイケメンなので、<br />
それを肴に女の子を呼び出そうと、<br />
「今から飲み来んか？　イケメンも一緒やでぇ」<br />
と電話をしても<br />
「どうせ福山とかSとかでしょ」<br />
と言って相手にしてもらえなかった、そんな時代である。</p>

<p>当時ぺーぺーで仕事も何もない福山と違って、<br />
テレビ等にレギュラー出演していたSの方がまだ売れてたのだが、<br />
そこは体育会のワシら、先輩の福山がいつもSの面倒を見てたのを覚えている。</p>

<p>福山もあんな甘いルックスのくせに非常に男気のある奴で、<br />
ワシも個人的には大好きだったのだが、<br />
ちょっと「不良」が入ってたSのことは「ほっとけない」というか、<br />
結局うちに泊めたり連れて飲み歩いたりしていた。</p>

<p>ひどい時は<br />
「おい、今から金沢のおもろい友人がおるから訪ねて行くぞ！！」<br />
若い衆集めて当時のマイカー「ダットラ」とオンロードのバイク<br />
（当時はオンロード、オフロード、アメリカン、サイドカーと４台のバイクを所有してた）<br />
と並走して関越自動車道をぶっとばした。</p>

<p>要は自分がバイクに乗りたいというだけで、<br />
でも疲れたら車にも乗りたいので、<br />
バイクの免許を持っているSが便利だったのである。</p>

<p>金沢でしこたま飲んで、<br />
「ほなワシは飛行機で帰るわ、お前バイク乗って帰っといて！！」</p>

<p>Sは彼の身体よりひと回り小さいワシのツナギを着せられて、<br />
窮屈でアザが出来る思いをしながら徹夜でバイクを転がして、<br />
東京でいち早く飲んでいるワシのとこに届けてこう言った。</p>

<p>「末吉さん・・・かんべんして下さいよ・・・」</p>

<p>かんべんするどころかワシの傍若無人は止まらない。<br />
２丁目のオカマバーにハマってた頃は、<br />
「おいお前、あの人達はなあ、俺たちなんかより凄い人達なんじゃ。<br />
人間を越えとるんじゃ！！お前も勉強しに来い！！」<br />
とか何とか言って連れてゆき、<br />
お化け屋敷のようなオカマ達に囲まれながらSが本気で<br />
「末吉さん・・・かんべんして下さいよ・・・」<br />
と言ってたのを覚えている。</p>

<p>同じように福山もオカマバーの洗礼をと連れて行ったが、<br />
本当に「かんべんして下さいよ」と言って二度と寄り付かなかったのと違い、<br />
何故かSは何度も何度も「かんべんして下さいよ」と言いながら、<br />
結局はいつもいつも一緒にいたんだから大したものだ。</p>

<p><br />
そんな中、<br />
「軽井沢に友達がペンションやっとるからツーリングに行くぞ！！」<br />
とまたSを呼び出し、<br />
みんなで山道を攻めて走ってた時、<br />
カーブを曲がり切れず、Sがトラックと正面衝突した。</p>

<p>現場に駆けつけて救急車を呼んで、<br />
病院に運んだのを覚えている。</p>

<p>幸い骨折と全身打撲ぐらいで大事には至らなかったが、<br />
それ以来なんとなく疎遠になってもう２０年・・・<br />
とりあえず翌日会う約束をして電話を切った。</p>

<p><br />
ほどなくメールが来た。</p>

<p>------------------------------------------------------------------</p>

<p>末吉さん、電話有難うございました！！！</p>

<p>20年、本当にあっというまでした。<br />
どうしても悔やまれていた、バイク代、<br />
富士銀行時代の通帳等と共にやっと、明日、お渡しできます！！！<br />
飲み代、ぷらっとこだまに乗り遅れた交通費の足しにして下さいませ（*^_^*）</p>

<p>バイクで事故をした後、意識を取り戻し目を開けると、病室で末吉さんが、<br />
「おまえはあほやの～。」と笑って言ってました。</p>

<p>武蔵小山マンションのウォーターベッドで寝ていると、<br />
「そこは俺の寝床じゃ！どけ～！」と怒って起こされました。</p>

<p>音楽したいんです！って相談したら、<br />
「ぼちぼちいこか」をきけ～！っと、関西ラグタイムのアルバムは、<br />
今、お借りしたまま私の自宅にあります。</p>

<p>時代と共に変わっていかなきゃいけないものだらけの20年でした。</p>

<p>末吉さんは、<br />
時代には関係なく変わっちゃいけないものを20年保ち続けた男前な先輩でした。</p>

<p>成功しようがしまいが、男前な生き方を示した先輩と、<br />
若き日に時間を共有できた事は、私にとってかけがいのない宝物です。</p>

<p>末吉さんの20年は、過去のメルマガを全部通読させて頂きました。<br />
その文脈の奥に、文章にならない数々の想いが伝わって、涙がたくさんこぼれました。<br />
この方は、本物やと。。</p>

<p>末吉さんの熱い人生（音楽）との取り組みを私も誇りにして、<br />
自分の人生（仕事)に精進しております。</p>

<p>これから先は、受けた恩を少しでもお返しします！<br />
どこまでできるかわかりませんが、<br />
日本にいらっしゃるオフの日は、大江戸温泉にご一緒させて下さい。<br />
（大江戸温泉代くらいは！稼ぎます！！！）</p>

<p>末吉さんがへたって日本に帰ってきて入院して、意識を取り戻したら、<br />
「あほですね～、養生せんからですよ～！養生してくださいっ！」<br />
と、病室で笑って話しかけたいです。</p>

<p>明日、お会いできるのを楽しみに！</p>

<p>------------------------------------------------------------------</p>

<p>何故か涙が出て来て止まらなかった。</p>

<p>あの頃俺はなんであんなに狂ったように遊んでたんだろう・・・<br />
まるで芸能人というクソっ食らえな職業で稼いだ金が憎いのかというぐらい、<br />
毎日毎日湯水のように金を使い、<br />
何千万あった預金は１年でゼロになり、<br />
税金が払えなくなってアミューズに借りに行ったらこう言われた。</p>

<p>「そりゃお前から取りっぱぐれる心配はないから貸すことに問題はない。<br />
でもこれは友人として忠告する、その生活を改めよ！！」</p>

<p>ワシもその数年後にはアミューズをやめることとなるが、<br />
Sはこの頃にはもうアミューズをやめている。</p>

<p>大組織の中でうまくやってゆけず、<br />
完全に浮いてしまっているこんな人間とつるんでたから感化されてやめてしまったのか、<br />
もしくは同じような人間だからつるみだしたのか、<br />
それは今となってはわからない。</p>

<p>テレビにもよく出ていたSはその後職探しにも苦労したようだ。<br />
どこに行っても「芸能人」というのはついてまわるのだ。</p>

<p>このワシがどこに行っても爆風スランプがついてまわるのと同じように・・・</p>

<p>芸歴を隠して就職し、<br />
今では裸一貫で会社を起こして頑張っているという。</p>

<p>２０万という金は、返せそうな額で実はやりくりするのが大変な額である。</p>

<p>「それをぽんと返せるということは<br />
ちゃんとまっとうに生活出来るようになったということなんだな！！」</p>

<p>ワシはありがたくその金をちょうだいした。</p>

<p>「今日は僕が奢ります」と言うSを制止してワシは言った。<br />
「アホか、もし俺がおちぶれてお前が大金持ちになったとしても、<br />
永久に俺はお前の先輩や、後輩に奢られてたまるかい！！<br />
お前はまたお前の後輩に奢ったったらええねん！！」</p>

<p>昔ほど豪遊する金はないが、<br />
Sと２０年振りに朝まで飲んでそのまま羽田から北京に飛んだ。</p>

<p>金の問題ではない。<br />
あいつはもっと素晴らしい利子をいっぱいつけて俺に返してくれたのだ。</p>

<p>同じ爆風のメンバーが同じように儲けた金でいい車を買ったり別荘を買ったり、<br />
結局俺だけが家も売って金もなく・・・</p>

<p>でも俺にはこんな素晴らしいものがあったんじゃないか・・・</p>

<p>ありがとな！！S！！<br />
昔ほどはアホ出来んけどまた飲もうな！！<br />
</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>No.158 再び行ったり来たりの中国生活・・・</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.funkyblog.jp/mailmagazine/2010/08/no158.html" />
    <id>tag:www.funkyblog.jp,2010:/mailmagazine//4.1302</id>

    <published>2010-08-23T02:05:28Z</published>
    <updated>2010-08-23T02:09:08Z</updated>

    <summary> アウェーインザライフの公演が終わり、 「あの日々は何だったんだろう・・・」 と...</summary>
    <author>
        <name>Funky Sueyoshi</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.funkyblog.jp/mailmagazine/">
        <![CDATA[<p><br />
アウェーインザライフの公演が終わり、<br />
「あの日々は何だったんだろう・・・」<br />
という夢覚めやらぬ毎日である。</p>

<p>演劇の仕事は「残らない」のである。<br />
終演と共に全てが消えてしまう。</p>

<p>特にワシと張張にとっては住む世界が違っているため、<br />
あの日々は全て夢の中であるかのようである。</p>

<p>その後、天津で張張とライブをやった。<br />
お互い「遠い夢の中の出来事みたいやったなあ・・・」という感じである。</p>

<p>その後張張は歌手のバックでヨーロッパへツアーに行ってしまい、<br />
ワシはまた全中国ドラムクリニックとWINGの中国ツアーが始まってしまい、<br />
また昔のように中国や香港を行ったり来たりしている。</p>

<p>７月は北京に一度往復した後、香港でリハーサルしてWINGの深圳ツアー、<br />
（<a href="http://www.funkyblog.jp/2010/07/post_498.html">http://www.funkyblog.jp/2010/07/post_498.html</a>）<br />
戻って来て北京経由でドラムクリニックで山東省ツアー、<br />
（<a href="http://www.funkyblog.jp/2010/07/post_504.html">http://www.funkyblog.jp/2010/07/post_504.html</a>、<br />
<a href="http://www.funkyblog.jp/2010/08/post_506.html">http://www.funkyblog.jp/2010/08/post_506.html</a>、<br />
<a href="http://www.funkyblog.jp/cat3/">http://www.funkyblog.jp/cat3/</a>）<br />
８月にはまたWINGのツアーのため香港に入ってそこから欽州というところに行った。</p>

<p>広西省の片田舎の街なのだが、<br />
それでも人口３００万人いるというのだから中国は広い！！</p>

<p>深圳から広西省の省都である南寧に飛び、そこからバスで２時間走る。<br />
もうちょっと行けばもうミャンマーである。</p>

<p>しかしその高速の最初の休憩所でうんこしてたら、何と置いて行かれた・・・<br />
（<a href="http://www.funkyblog.jp/2010/08/post_512.html">http://www.funkyblog.jp/2010/08/post_512.html</a>）</p>

<p>わざわざ日本から呼び寄せたドラマーを、<br />
高速のサービスエリアに置き去りにするか？・・・</p>

<p>こんなこともあるんやなあ・・・</p>

<p>そして次の週にはドラムクリニックのため貴州省まで行くのじゃが、<br />
このスケジューリングがなかなか大変だった。</p>

<p>８月１２、１３日は江川ほーじん山本恭司セッションが入っていて、<br />
１６日には京都RAGで西野やすしセッションが入っている。<br />
１４日のうちに何とか上海経由で貴州省まで入っておけば、<br />
１５日の午後に演奏出来てその日のうちに上海まで移動し、<br />
１６日の朝いちで関空に飛べば京都のライブに間に合う。</p>

<p>いやーよくこんなことやってましたなあ・・・<br />
古くにはほぼ日帰りで上海往復っつうのもあった。</p>

<p>こうなるのは中国のブッキングがいつも変更やドタキャンになるからである。<br />
会場は国の持ち物なのだから国の都合でぽんぽん予定が変わる。</p>

<p>その日も上海の大舞台という大きな会場でのコンサートがいきなり日にちが変更になった。<br />
数万人クラスの体育館コンサートが１ヶ月前に変更になるんだからたまらない。</p>

<p>「ファンキーさん、この日スケジュール大丈夫？」<br />
と聞かれたが、あいにくその日はX.Y.Z.→A全都道府県ツアーの山形と新潟の移動日である。</p>

<p>「じゃあ来れるじゃない！！」</p>

<p>これが中国人的発想というか、<br />
ワシも爆風時代に昔の社長から<br />
「日本中やれば出来ない移動はない！」<br />
と言われて育って来たのでついついそんな移動をやり遂げてしまう。</p>

<p>山形のライブが終わってそのまま夜行バスに乗って東京駅に着く。<br />
そのまま成田に行って上海に飛ぶ。<br />
着いたらすぐコンサートやって、打ち上げして飲んでそのまま朝いちの飛行機に乗る。<br />
成田着いてそのまま新幹線で新潟へ移動し、そのままライブをやる。</p>

<p>日本どころではない、今や全世界やれない移動はないのである。</p>

<p>そんなこんなで貴州省まで着いてワシは知らされる。<br />
「甘粛省の水害のため、突然政府が明日を哀悼日に定め、<br />
全ての演奏活動を禁止すると通達しました」<br />
つまりはドタキャン、ワシは旨いものを食うためだけに７０００kmを往復したのだ。<br />
（<a href="http://www.funkyblog.jp/2010/08/post_517.html">http://www.funkyblog.jp/2010/08/post_517.html</a>、<br />
<a href="http://www.funkyblog.jp/2010/08/post_518.html">http://www.funkyblog.jp/2010/08/post_518.html</a>）</p>

<p>そんなこんなで今は香港に来ている。<br />
面白いこともいっぱいあった。<br />
（<a href="http://www.funkyblog.jp/cat15/cat13/">http://www.funkyblog.jp/cat15/cat13/</a>）</p>

<p>いろんなところに行ってドラムを叩いては飲み・・・<br />
土地土地に友達がいてメシ食っては飲み・・・<br />
旅から旅への素敵な人生ではないか・・・<br />
</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title> No.157 アウェーインザライフついに開演！！</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.funkyblog.jp/mailmagazine/2010/06/post_2.html" />
    <id>tag:www.funkyblog.jp,2010:/mailmagazine//4.1199</id>

    <published>2010-06-07T07:17:51Z</published>
    <updated>2010-06-07T07:19:46Z</updated>

    <summary>いやー、凄まじい！！ あのテンションの芝居を連続５連チャン、土曜日には昼夜２回公...</summary>
    <author>
        <name>Funky Sueyoshi</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.funkyblog.jp/mailmagazine/">
        <![CDATA[<p>いやー、凄まじい！！<br />
あのテンションの芝居を連続５連チャン、土曜日には昼夜２回公演をこなし、<br />
昨日は昼公演だけなので飲みに誘ったら、<br />
そのまま終電まで８時間飲み続けるんだから役者さん達の体力たるやハンパじゃない！！</p>

<p>個人的には「終わったぁ・・・」という「打ち上げモード」だったのじゃが、<br />
「終わった」のではない。今から「始まる」のである。<br />
今日の休演日が終わったらまた明日から８連チャン、<br />
週末にはなんと２日で４公演やるぞ！！</p>

<p>それでもまだまだ終わらない！<br />
休演日を一日はさんで５連チャンしてから大阪！！</p>

<p>芝居の世界はほんま・・・凄まじ過ぎる・・・</p>

<p>昨日は「ロック界の由美かおる」こと寺田恵子姐さんがゲストで来てくれた。<br />
（年をとらないの意）<br />
姐さんもその後８時間一緒に飲んだが、<br />
「大阪公演にもゲスト出演させろ！！」<br />
とわめいてらっしゃった。</p>

<p>スタッフのみなさん、よろしくご考慮して頂きたく候・・・</p>

<p>ところで姐さん、台本読んでこう言ってた。<br />
「何これ？Show-yaの話？・・・」</p>

<p>三十路過ぎたガールスバンドの復活劇・・・<br />
それだけ見るとShow-yaをモデルにしたような話に見えるが、<br />
筋少の音楽を使っているので筋少もしかり、<br />
当時バンドブームにデビューした全てのバンドにとっては「身につまされる」ストーリーである。</p>

<p>ネタバレ承知で紹介させて頂くが、<br />
この舞台はもちろん笑いどころ満載で、数分に一度は大爆笑をとるシーンが必ずあるが、<br />
バンドを経験した者、見て来た者にとっては涙モノのストーリーである。</p>

<p>実際ワシもドラムのところで何度も目頭が熱くなってくる。<br />
ほんま・・・泣きます・・・</p>

<p><br />
バンドブームに乗ってデビューして一躍大スターになった彼女達を待ってたのは、<br />
メジャーの洗礼、仲違い、そして解散。</p>

<p>「別に私たち、売れるためにバンド始めたわけじゃ・・・」<br />
妹役のソニンちゃんのセリフが胸に突き刺さる。<br />
「私は売れたいよ！！」<br />
姉役の水野美紀さんのセリフがまた涙をさそう。</p>

<p>その他いつも目頭が熱くなるいくつかのセリフ・・・</p>

<p>「今、世間のバカどもは私の歌でまさに踊らされてるんだ。こんな面白いことってある？」</p>

<p>「この後しばらくはチヤホヤされたわ。みんな限りなく有頂天になって、<br />
私ですら、自分が今どこに立っているのかすらわからなくなった」</p>

<p>「しょせん踊らされてたのは私たち」</p>

<p>「私、バンド、脱退する！！」</p>

<p>「ロック、ロックしたいの、本物のロックを！！」</p>

<p>「居場所があるって思ったらみんなロックなんかやってないわよ」</p>

<p>「あなたは一人じゃない。だって、あなたには・・・<br />
こんなにも素敵な仲間がいるんだから・・・」</p>

<p>など、どのセリフも当時バンドをやってた人間なら一度は言ったか聞いたかしたセリフである。</p>

<p>「私は売れたいよって・・・私・・・言ったことある・・・」<br />
寺田姐さんもうこう言ってた。<br />
ワシだっていろんなセリフをそのまま言ったこともあるし言われたこともある。</p>

<p>面白いことにワシ自身は、<br />
「俺は売れたいよ！！」<br />
も言ったことがあるし、<br />
「本物のロックがやりたいんだ！！」<br />
も言ったことがある。<br />
現実のバンドの中ではこの役者さん達が演じている役回りを<br />
バンドメンバーが入れ替わり立ち替わり演じたりするのだ。</p>

<p>Show-yaだって爆風だって、きっと筋少だって似たような、<br />
こんな物語のひとつやふたつを経験しながら解散し、<br />
そして再結成に至るのだ。</p>

<p>この舞台はバンドをやってた人、<br />
バンドが好きだった人、<br />
ロックを愛する人には是非見に来て頂きたい！！</p>

<p>公演スケジュールは<a href="http://www.funkyblog.jp/s/">こちら</a>を参照のほど</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>No.156 芝居とロックの日々・・・</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.funkyblog.jp/mailmagazine/2010/05/post_1.html" />
    <id>tag:www.funkyblog.jp,2010:/news//3.1140</id>

    <published>2010-05-04T08:35:10Z</published>
    <updated>2010-05-04T06:18:43Z</updated>

    <summary>芝居稽古の前に「歌稽古」というのが何日か組まれていた。 歌や楽器など、役者さんが...</summary>
    <author>
        <name>Funky Sueyoshi</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.funkyblog.jp/mailmagazine/">
        <![CDATA[<p>芝居稽古の前に「歌稽古」というのが何日か組まれていた。<br />
歌や楽器など、役者さんが本職じゃない部分を先に練習し、<br />
「不安」を全て払拭してから芝居稽古に入ろうということである。</p>

<p>逆に不安にならんか？・・・</p>

<p>役者というのはそれはそれは凄まじい仕事である。<br />
今回は歌も歌うし楽器も弾くし、殺陣はあるし踊りもある。</p>

<p>筋肉少女帯の音楽に合わせて踊りを踊るのかぁ・・・<br />
笑えるのう・・・</p>

<p>笑いどころ満載の芝居ではあるが、しかし笑い事ではない。<br />
役者さんはそれらを全て完璧にやって、<br />
しかも本職の芝居も完璧にやり切らねばならないのだ！！<br />
ほんまにほんまに大変な職業である。</p>

<p>ボイストレーナーを雇おうか、<br />
いやそれなら二井原に頼もうか、<br />
いや筋少の曲なんだから橘高に「行け！」とかいろいろ試行錯誤したが、<br />
結局「歌の稽古」というよりは、歌を全部役者さんの声でレコーディングすることにした。</p>

<p>そうすれば自分の歌えない部分もよくわかるし、<br />
毎回ちょっとずつ進歩してゆくのも体感出来る。<br />
キーの微調整も出来るし、何より、次からの本稽古にはその録音を流せるではないか！！<br />
複数の役者さんが歌う曲は、スケジュールの関係で練習に参加出来ない人の声だけ生かしてあげればよいし、<br />
まだ自信のない人はカラオケではなく自分の歌も出してあげればよい。</p>

<p>どったんばったんのスケジュールの中、全員の歌入れが終わり、「本読み」。</p>

<p>「本読み」というのは音楽界では聞かない言葉ではあるが、<br />
ワシは爆風スランプの映画「バトルヒーター」で経験したことがある。<br />
台本を読めばいいのかと思って何となく現場に行ったら、<br />
役者さん達はそれこそ真剣そのもので、<br />
台本すら持って来てなかったのはワシぐらいのもんだった。</p>

<p>初の本読みの日はスタッフ、出演者全員が勢揃いして顔合わせも兼ねている。<br />
お偉いさんも顔を出し、厳粛な雰囲気の中、<br />
しかし笑いどころ満載なので列席者大爆笑の中、<br />
「これはしっかりやり切れば相当面白い舞台になる！！」<br />
という実感を残して無事終了した。</p>

<p>そして本稽古！！</p>

<p>いやー凄まじい！！<br />
役者さんって、毎日毎日８時間以上、<br />
本番と全く同じテンションで、<br />
それを１ヶ月以上毎日毎日続けるのだ！！</p>

<p>とてもじゃないけどワシらには出来んぞ！！！</p>

<p>一昨日はソニンちゃんにドラムを教えに行って来た。<br />
ドラムのセッティング等もあるので早めに着くように行ったが、<br />
ソニンちゃんは既に来ていて、<br />
ちゃんと稽古着に着替えて発声練習や、<br />
台詞の練習をしながら柔軟運動をしている。</p>

<p>ドラムを叩くから柔軟しているのではない。<br />
その後すぐに芝居の稽古があるからである。</p>

<p>２時間ほど特訓して芝居稽古の時間が近づいて来ると、<br />
役者さん達が同様に早めにやって来て、柔軟やら発声やら、台詞の練習を始める。</p>

<p>真剣そのものである。</p>

<p>もの凄い緊張感の中、中座してX.Y.Z.→Aのリハーサル。<br />
ああ、演劇界に比べてロック界のぬるいことか・・・<br />
遅刻はアリ、ダベリはアリ、途中で適当に休憩はアリ、<br />
「しんどいから今日はこのぐらいでやめようか」もアリ！！</p>

<p>しかし半年ぶりの高速ツーバスはやっぱこたえた！！<br />
演劇は演劇で、ロックはロックでやっぱ命がけなのじゃよ！！</p>

<p>（命がけのツーバスの動画）<br />
http://www.youtube.com/watch?v=EgSkLo45ek4&feature=player_embedded</p>

<p>ツアーは生きて帰れるか？！！<br />
見届けに来い！！</p>

<p>X.Y.Z.→A TOUR 2010<br />
Yesterday! Today! Tomorrow!</p>

<p>5月 8日（土）　大阪　MUSE　<br />
OPEN 18:00　START　18：30　（問）YUMEBANCHI　06-6341-3525<br />
前売り￥4,500　当日\5,000</p>

<p>5月 9日（日）　滋賀　COCOZA HALL event KIZUNA～絆～<br />
OPEN 16:00　START　16：30　（問）会場　0748-38-8586<br />
共演　Rosario Ark / SLUDGE / sickhead<br />
前売り￥4,500　当日\5,000</p>

<p>5月15日（土）　豊橋 ell. KNOT　<br />
OPEN 18:00　START　18：30　（問）会場　0532-57-3655<br />
前売り￥4,500　当日\5,000</p>

<p>5月16日（日）　名古屋 ell. FITSALL　<br />
OPEN 17:00　START　17：30　（問）会場　052-211-3123<br />
前売り￥4,500　当日\5,000</p>

<p>ライブはこんな感じになりまんす！！</p>

<p>X.Y.Z.→A LIVE DVD 2010.5.12 ON SALE!<br />
Countdown To 10th Anniversary 10 Gigs FINAL!!<br />
～Yesterday! Today! Tomorrow!～</p>

<p>2009年11月22日に渋谷CLUB QUATTROにて行われた、<br />
デビュー10周年を記念したツアーファイナルライヴを完全収録！！<br />
さらに、2009年2月より行われた、10ヶ月連続ライヴ"Countdown To 10th Anniversary 10 Gigs"より、<br />
選りすぐりの特典映像も収録した、全3時間40分、涙、笑い、ヘドバンありの感動超大作！！<br />
（本編2時間40分、特典映像60分）</p>

<p>XQHZ-2001　定価5,800円　　収録時間　APPROX.221min.　　画面サイズ　16:9<br />
DVD2枚組み　DISC1 : 片面2層　DISC2 : 片面2層　　　音声　リニアPCM　STEREO<br />
発売：Blasty Records　販売：BounDEE<br />
</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>No.155 「アウェーインザライフ」</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.funkyblog.jp/mailmagazine/2010/03/no155.html" />
    <id>tag:www.funkyblog.jp,2010:/mailmagazine//4.1146</id>

    <published>2010-03-31T06:19:39Z</published>
    <updated>2010-05-04T06:20:55Z</updated>

    <summary>「エンゲキロック」と銘打って、 筋肉少女帯とプロペラ犬という演劇ユニットが合体し...</summary>
    <author>
        <name>Funky Sueyoshi</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.funkyblog.jp/mailmagazine/">
        <![CDATA[<p>「エンゲキロック」と銘打って、<br />
筋肉少女帯とプロペラ犬という演劇ユニットが合体して舞台をやる。<br />
その音楽監督に任命されたのがワシなのであるが、<br />
待てども待てども全然仕事が始まらない。</p>

<p>考えてみれば筋肉少女帯の音楽で演劇をやろうということ自体が無謀だったのかも知れない。<br />
脚本家は相当煮詰まって台本を書いていたのだと思われる。<br />
出来上がった台本を読ませてもらったが、<br />
その苦労の甲斐あって非常にうまく仕上がっている。</p>

<p>これをちゃんと演り切れば相当素晴らしい舞台になるに違いない！！</p>

<p>と思っていそいそと仕事に取りかかる。<br />
音楽の通し番号に台本のページ数をつけて<br />
「使用音楽一覧」として表を作成する。<br />
これを見ればワシがどこにどのような音楽を散りばめようとしているのかがすぐにわかるというものである。</p>

<p>これを持って最初のミーティングの時、<br />
演出家から<br />
「ファンキーさんは舞台の音楽はよくやられてたんですか？」<br />
と聞かれたので、<br />
「舞台は昔、岸谷五朗と小泉今日子の舞台を一回やったっきりですねえ。<br />
映画はいっぱいやりましたが・・・」<br />
と答えたら、<br />
「いやー、台本も読めない音楽監督が多い中でこの仕切りは素晴らしい！！」<br />
と誉められた。</p>

<p>「台本が日本語なんだから私にしてみたら楽なもんです」</p>

<p>と言うと、<br />
「その問題かい！！」<br />
と笑われながら突っ込まれ、<br />
初ミーティングはなごやかな雰囲気で終わった。</p>

<p>思えば最初にこの仕事を受けた時もTBS側には<br />
「ドラマーなのに本当にこんな仕事が出来るのか」<br />
という不安の色があったような記憶がある。</p>

<p>「ところ変われば」であるが、<br />
中国の映画界ではワシのことは逆にドラマーだと知らない人が多いのにびっくりした。<br />
「それで音楽監督のファンキーさんは楽器は何をやってるんですか？」<br />
と聞かれてずっこけそうになってしまったことがある。</p>

<p>だから中国での活動を知らない日本人にとっては<br />
逆にドラマーがこんな仕事をするのが不思議に思うのも頷ける。</p>

<p>異国の地でネイティブにその言語も喋れない人間が仕事をやってゆくことは大変である。<br />
だからワシはワシなりのやり方を編み出して何とかやってきた。<br />
このように仕切りをちゃんとやることもそうだし、<br />
ネイティブに喋れない「言葉」ではなく人を説得してゆくための苦肉の策として、<br />
このような表やリスト、DEMOなどあらゆる手段を使う。</p>

<p>先日は会議でも<br />
「構成とキーが決まったら全ての楽曲を録音する！」<br />
と発言して度肝を抜いた。</p>

<p>ワシにしてみれば自分ちにスタジオがあるんだからレコーディングなんぞ簡単なもんである。<br />
４月から始まる歌稽古のために<br />
毎回バンドのメンバーが生演奏でその歌稽古に付き合うことを考えると、<br />
１日だけ集まって全曲レコーディングしてしまった方がどれだけ楽か・・・</p>

<p>というわけで今は北京でデブのキーボーディスト「ジャンジャン」とミーティング中。<br />
「お前、全曲DEMO作っとけ！！」<br />
ってなもんである。</p>

<p>「こんな難しい音楽やったことありませーん！！」</p>

<p>そうか・・・筋肉少女帯の音楽はやっぱ難しいか・・・<br />
ピアノも三柴くんやしなあ・・・</p>

<p>デブ、これも修行じゃ！頑張れよ！！<br />
</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>No.154 才能は遺伝するのか？</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.funkyblog.jp/mailmagazine/2010/02/no154.html" />
    <id>tag:www.funkyblog.jp,2010:/mailmagazine//4.1147</id>

    <published>2010-02-20T06:21:08Z</published>
    <updated>2010-05-04T06:22:22Z</updated>

    <summary>先日は店で美勇士くんのライブがあった。 生まれながらにこんなに「有名」な子供も珍...</summary>
    <author>
        <name>Funky Sueyoshi</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.funkyblog.jp/mailmagazine/">
        <![CDATA[<p>先日は店で美勇士くんのライブがあった。</p>

<p>生まれながらにこんなに「有名」な子供も珍しい。<br />
ニューイヤーロックフェスかなんかの楽屋かなんかで<br />
小さい頃の彼を見かけたことがあるので、<br />
言わなくてもいいのについ<br />
「こんな小さい頃なあ、楽屋で会うたことがあんねんで」<br />
と本人に言ってしまう。<br />
おそらく彼は何百回、何千回とこの言葉を言われたことだろう・・・</p>

<p>だいたい二世だ何だというのは往々にして「ちょっとなあ・・・」という人が多いので、<br />
まあワシも全然期待することなく彼のライブを見た。</p>

<p>ところがこれが素晴らしかった。</p>

<p>感動するというのは「理屈」ではない。<br />
言うならば「何となく感動する」・・・<br />
つまり何やら「雰囲気」のようなものなのである。</p>

<p>両親の面影を残したルックスで、<br />
両親の声や歌い方そっくりに、<br />
両親のヒット曲を歌う。</p>

<p>そりゃ感動するじゃろ・・・</p>

<p>これらは全て両親から受け継いだ「財産」、<br />
つまり「天賦の才能」と呼べるだろう。<br />
感動を作り上げている「雰囲気」のほとんどは<br />
こう言えばひょっとしたら両親から受け継いだものかも知れない。</p>

<p>しかし彼がギターの弾き語りで歌っている時、<br />
そのギターの上手さを聞いて思った。</p>

<p>じゃあ彼がギターが上手いのは「才能」か？「遺伝」か？・・・</p>

<p>父親はギターも弾くし、<br />
音楽一家で生まれ育ったんだからこれぐらい出来て当然かも知れない。</p>

<p>しかしここでワシ自身のことを考えてみる。</p>

<p>ワシの実家は金持ちだったので、<br />
「あそこの坊ちゃんなんだから勉強なんか出来て当然だ」<br />
とか、<br />
「あそこの坊ちゃんなんだから大学もきっといいところに受かる」<br />
とか言われるのがイヤで、<br />
結局家出して日雇い労働から爆風銃、そして爆風スランプと来て今がある。</p>

<p>金持ちだと言っても両親は別に大卒でも何でもない。<br />
食えないから一生懸命働いて、たまたま店が成功して金持ちになっただけである。<br />
小さい頃から少々頭の回転は速かった子だったと言うが、<br />
それと家が金持ちであることはまるで関係ない。</p>

<p>今度は音楽で成功したらしたで「やっぱり才能なんですね」と言われるが、<br />
ワシの一族郎党末端まで音楽やってる人間なんてひとりもいないので、<br />
ワシ自身これが「才能」だなんて思ったことはない。</p>

<p>先日ラジオで非常に興味深いCMを聞いた。</p>

<p>森瑶子・・・彼女は小さい頃からバイオリンの英才教育を受け、<br />
毎日毎日が音楽という生活だったが、<br />
それが何より嫌いで１８歳の時に家を出た。<br />
それから何もせずにただ暮らしていたが、<br />
３０歳を過ぎたある日、初めて書いた小節が賞を受章し、<br />
それから日本を代表する作家となった。<br />
本人曰く、<br />
「才能」とは、あるものを好きで好きでたまらないと思えること。<br />
そしてそれといつどのような形で出会うかは神のみぞ知る。</p>

<p>みたいな内容だった。</p>

<p>そう言えば高校の頃、ワシよりドラムが上手かった奴や、<br />
ピアノが上手かったりワシより音楽的才能に恵まれてた友人達はみんな、<br />
今は音楽をやめて他のことをやっている。</p>

<p>ワシだけが今だに続けている。</p>

<p>それは彼らが音楽を好きな気持ちより<br />
ワシの方がちょびっとそれが強かっただけのことなのだ。</p>

<p>おかげでワシは世間で騒がれている流行モノも一切知ることもなく、<br />
オリンピックも見なければトレンディードラマも見ず、<br />
とどのつまりは社会常識にも大きく欠落しているのだから困ってしまう。</p>

<p>どんな人にでも１日は平等に２４時間しかない。<br />
その２４時間をどう使うかは本人次第である。<br />
ワシはたまたまそれを音楽に使っただけのことである。</p>

<p>美勇士くんの話に戻ろう。</p>

<p>彼のギターを聞いてて思ったのは、<br />
「ああこいつ・・・ギターが好きなんだな・・・」<br />
ということであった。</p>

<p>弾き語りでもちょっと変わったギタースタイルで弾くのは、<br />
きっと彼がそのタイプの音楽をたくさん聞いていたからであって、<br />
それは親が教えたものでも親から遺伝したものでもない。</p>

<p>ただ環境としては恵まれていると言えるだろう。<br />
オリンピックなどで活躍しているアスリート達の両親が、<br />
やっぱりその道のプロだったりするのは、<br />
その才能を遺伝したのではなく、<br />
練習出来る環境が整っていたという方が大きいと思う。</p>

<p>でもいくら環境が整ってても本人にやる気がなければ宝の持ち腐れなんだから、<br />
そう考えるとやはり森瑶子さんの話が深く響いて来る。</p>

<p>美勇士くん、この環境に生まれて、<br />
そして両親と同じく音楽が好きになったんやね。<br />
それがワシにとって非常に嬉しくて<br />
このライブを感動した一番の「雰囲気」になってたのではないかと思う。</p>

<p>ワシが上手い演奏を聞いたり人間業ではない歌を聞いたりするのが好きなのは、<br />
それを聞くとその人が今までどう生きて来たのか、<br />
２４時間をどう使って来たかがわかるからである。</p>

<p>有名な両親の元に生まれて、ただ「有名になりたい」という生き方をすることも出来た。<br />
「金持ちになりたい」という生き方をすることも出来た。<br />
でも彼が好きになったのはたまたま両親も好きだった「音楽」だった。<br />
これがワシにとって何かとっても嬉しかったんやね。</p>

<p>またこの美勇士くん、数々の武勇伝を残す父君と違って、<br />
性格が非常に温和である。</p>

<p>ライブが終わって、この店のことも気に入ってくれて、<br />
「今度、桑名もぜひ呼んであげて下さいよ」<br />
と言われてスタッフ一同かたまってしまった。</p>

<p>「どうしたんですか？」<br />
と美勇士くん。</p>

<p>「いや、だって・・・お父さんは伝説っつうかいろいろ噂を聞くから・・・」<br />
とスタッフ。</p>

<p>「どんな噂ですか？」<br />
と美勇士くん。</p>

<p>「いや・・・終演後にバンドのメンバー並ばせて一人一人にビンタしたとか・・・」<br />
とスタッフ。</p>

<p>「なーんだ・・・その程度の噂ですかぁ・・・」</p>

<p>ひぇー・・・</p>

<p>「大丈夫です。怒らせるようなことしなければ殴ったりしませんから」</p>

<p>ひぇー！！ひぇー！！</p>

<p>美勇士くんからもお父さんからもその後の連絡はまだない・・・<br />
</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>No.153 飛鳥クラブ再建計画</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.funkyblog.jp/mailmagazine/2010/01/no153.html" />
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    <published>2010-01-24T06:22:37Z</published>
    <updated>2010-05-04T06:23:58Z</updated>

    <summary>子供が生まれてから日本にいることが多く、今回は久々の北京ネタ。 飛鳥クラブという...</summary>
    <author>
        <name>Funky Sueyoshi</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.funkyblog.jp/mailmagazine/">
        <![CDATA[<p>子供が生まれてから日本にいることが多く、今回は久々の北京ネタ。<br />
飛鳥クラブという日本人スナックがあり、そこのオーナーの飛鳥さんが他界された。<br />
ギターを弾いてお客さんのリクエストに答えては「生オケ」で伴奏し、<br />
無口でいつも笑顔で人の話を聞いてくれた。<br />
今回はそんな飛鳥さんの物語である。<br />
----------------------------------------------------------------------</p>

<p>私が最初に飛鳥さんとお会いしたのはもう１０年近く前だったと思う。<br />
レコーディングが終わってそのままエンジニアのKeizoに飛鳥クラブに連れて行かれた。<br />
人のよさそうな飛鳥さんがステージでギターを弾いているのを尻目に、<br />
当時独身だった私は店の女の子を一生懸命口説いていたのでその時はあまりお話をしていない。</p>

<p>その後、その女の子と正式にお付き合いすることとなり、<br />
今度は彼女からいっぱい飛鳥さんのことを聞いた。<br />
どうも飛鳥さんは店の女の子みんなと自分の娘のように接しておられたようだ。<br />
彼女が「ギターを練習したい」と言うので飛鳥さんはわざわざ一緒に楽器屋さんに行って、<br />
手頃な値段で、しかもちゃんとしたものを選んであげたと言う。</p>

<p>「君がいいと言うなら一緒に暮らしたい」<br />
と言ってわざわざ飛鳥クラブの近くに借りた私のアパートに、<br />
「来ちゃった」<br />
と言って飛鳥クラブの従業員寮から引っ越して来た彼女は、<br />
ちゃんとそのギターを担いでやって来た。</p>

<p>その後彼女と別れて後もそのギターはまだ北京のうちのスタジオにある。<br />
彼女は結局「禁じられた遊び」の導入部分しか弾けなかったが、<br />
いろんな中国ロッカーがこのギターでレコーディングをしたところを見ると、<br />
なるほど飛鳥さんのお見立ては大したものだったのだろう。</p>

<p>彼女とは別れた後もいい友達である。<br />
彼女は今では結婚して子供もいるが、<br />
先日「飛鳥さんが重い病気にかかっている」と聞いて、<br />
久しぶりに飛鳥クラブに一緒に飲みに行った。<br />
彼女は当時働いていた時のチャイナドレスを来てはしゃいでいた。<br />
飛鳥さんは相変わらずの笑顔でそれを見守っていた。</p>

<p>飛鳥さんの病気のことを聞いたのは北京に住む日本人からのメールだった。<br />
「お店の１０周年記念で飛鳥さんの曲をCDにして配りたい」<br />
と言うので、<br />
「それだったらうちのスタジオでやればいいじゃないですか」<br />
と答えて１日だけのレコーディングを行った。</p>

<p>レコーディングというものは簡単にやればいくらでも簡単にやれるし、<br />
細かくやろうとすればどこまでも細かく出来る。<br />
歌入れの時に<br />
「どうしますか？もう一度歌い直しますか？」<br />
と聞いた時、飛鳥さんはこう言った。<br />
「こんなもんでいいです。どうせ記念で配るぐらいのCDなんですから」</p>

<p>しかしこのCDは結果的に飛鳥さんの遺作となった。<br />
飛鳥さんはそのことを知っておられたのか、<br />
それとももうガンがかなり進行していて歌うのもしんどかっただけなのか・・・</p>

<p>日本の私の携帯に飛鳥さんの奥さん王姐から送られて来たSMSで、<br />
飛鳥さんが亡くなったことを知った。<br />
ご丁寧にCDのお礼を述べられたが、<br />
遺作になるとわかってたらもうちょっとつきつめた方がよかったのか？<br />
いや遺作になるからレコーディングをつきつめるなんてそんな縁起でもないことが・・・<br />
などいろんなことを考えてちょっと複雑な気持ちだった。</p>

<p>なるみちゃんからメールが来て葬儀のことをいろいろ聞いた。<br />
葬儀ではあの曲がずーっとかかっていたこと、<br />
いろんな人がいっぱいいっぱい来てお別れをしたこと。<br />
そして飛鳥クラブをもう閉めてしまうんだと言うことを聞いた。</p>

<p>奥さんの王姐は、本当は閉めてしまうのは悲しくって悲しくって仕方がないと泣いたと言う。<br />
何とか出来ないか？<br />
私もなるみちゃんもいろいろ考えた。<br />
いろんな人に声をかけて、再建出来ないか相談した。</p>

<p>先月北京に行った時に、じゃあみんなで会って話そうよということになって集まったが、<br />
その待ち合わせ場所はなんと、閉めたはずの飛鳥クラブだった。</p>

<p>もちろん看板に電気は灯ってないが、<br />
店の内装はそのまま、客のボトルもそのまま置いてある。<br />
「お店を閉める日にね、お客さんにボトル持って帰って下さいって言ったんです。<br />
でも誰ひとりとして持って帰らなかったの・・・」<br />
と王姐は言う。</p>

<p>店の大家としては、出て行くなら全部壊してもとのさらの状態にして出て行ってくれと言う。<br />
しかし王姐としては店を壊すのも忍びない。<br />
大家としては、じゃあそのまま置いとくなら家賃をそのまま払ってくれと言う。</p>

<p>結局壊すのも金がいるし、残すのも金がいるし、<br />
壊すに壊せない、残すに残せない状況なのが現状なのだ。</p>

<p>その場にいた高山さんにいろいろ意見を聞いた。<br />
北京で何軒も店を経営しているんだからその辺のことに関しては熟知している。<br />
彼の見解としては<br />
「今の北京をとりまく経済状況で、この店に再投資して利潤があがるというのは難しいと思います」<br />
との答えだった。</p>

<p>上海で居酒屋を何軒も経営している勝山さんに意見を聞いた。<br />
「商売としては北京は今難しいみたいですけどねえ・・・<br />
飛鳥クラブ再建を待ってる人が少なからず何人もいるんでしょ。<br />
だったら少しぐらいのお金は出してもいいですよ、再建しましょうよ」</p>

<p>その他、<br />
「再建してやっぱりダメだになって、関わった人がまたお金でもめたりしたら<br />
それこそ飛鳥さんが一番悲しむことだから再建には反対だ」<br />
と言う人もいる。</p>

<p>いろんな人に意見を聞いた。<br />
なるみちゃんは日本に住む飛鳥さんのお嬢さんに会ってこのことを相談した。<br />
飛鳥さんは王姐と結婚する前の奥さんとの間に娘さんがいて、<br />
その娘さんはお母さんももう先に亡くなって、<br />
今身よりはと言えば北京にいる飛鳥さんの忘れ形見である王姐との息子、<br />
つまり腹違いの弟だけなのだと言う。</p>

<p>彼女が現在住んでいる日本の住居は飛鳥さん名義の公団で、<br />
飛鳥さんが亡くなったので出て行かねばならないとか、<br />
現在の仕事の問題とかいろんなタイミングが重なって、今では<br />
「北京に行って、お父さんの残した店を守りたい」<br />
と言う気持ちになっていると言う。</p>

<p>私はとるものもとりあえず娘さんと会った。<br />
飛鳥恵美子さん、<br />
そう言えば飛鳥さんの面影を少し残した、明るく美しい忘れ形見がそこにいた。</p>

<p>「本当にやりたいの？異国の地で大変だよ」<br />
私はそう聞いた。<br />
「私、やりたいんです。頑張ります！！」<br />
いろんなアイデアもやりたいこともいっぱいあると言う。<br />
やる気まんまんで燃えている。</p>

<p>聞けば恵美子さん、北京の飛鳥クラブに来たこともあるし、<br />
王姐との仲もよいどころか、法律的にも今は王姐の籍に入っていると言う。<br />
王姐は王姐で恵美子さんと一緒に暮らすために新しい部屋に引っ越ししたと言う。</p>

<p>それならば何も問題ないではないか！！</p>

<p>しかし店の名義、資金、運営等問題は山積みである。<br />
しかし娘さんがその意思があるなら人は必ず集まって来る。<br />
飛鳥さんの残した店が、娘さんの店となって生まれ変わるのである。</p>

<p>それだったらお金を出してもいい、そう言う人も現れて来た。<br />
私も持ってる中国元は全部吐き出してもいい。<br />
投資とかそんな商売っけではない。<br />
「恵美子さん、お店を再建するお金はお父さんの知り合い達が出してくれる、<br />
あなたは今から頑張って店を軌道に乗せ、利益の中から一生懸命そのお金を返すのよ。<br />
全部返し終わったその後には名実共にそのお店はあなたのもの。<br />
あなたがお父さんの忘れ形見の弟さんと継母である王姐をこの店の売り上げで面倒見てあげなさい」</p>

<p>この店が成功すれば飛鳥さんの喜ぶ姿が目に浮かぶ、<br />
そして失敗しても・・・私やその他お金を出した人はまた笑ってお酒を飲もうではないか。</p>

<p>とりあえず今月末に私は恵美子さんと一緒に北京に行く。<br />
北京にいる日本人の方でこの話に興味を持ってくれる人、<br />
何か手助けをしたいと考えてくれる人は是非一度私たちを訪ねて来て下さい。</p>

<p>連絡先：funky@funkycorp.jp</p>

<p>ああ・・・またこんなことに首を突っ込んでしまった・・・<br />
これも性分なんだから仕方がない・・・</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>No.152 綾和也ついに結婚！！</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.funkyblog.jp/mailmagazine/2009/12/no152.html" />
    <id>tag:www.funkyblog.jp,2009:/mailmagazine//4.1150</id>

    <published>2009-12-24T06:26:47Z</published>
    <updated>2010-05-04T06:28:20Z</updated>

    <summary>私の知り合いなら知らない人はいない、 そうでないなら知ってる人はいない人間に綾和...</summary>
    <author>
        <name>Funky Sueyoshi</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.funkyblog.jp/mailmagazine/">
        <![CDATA[<p>私の知り合いなら知らない人はいない、<br />
そうでないなら知ってる人はいない人間に綾和也という人間がいる。</p>

<p>彼とはもう４０年以上の友人である。</p>

<p>最初に会った（見かけた）のは小学校２年の時のドッジボール大会。<br />
ボールを投げて当たった相手が顔の大きいおもろい顔をしてたのが印象に残っていた。</p>

<p>小学校３年の時に同じクラスになって以来、<br />
その後クラスが変わっても何故かずーーーっと一緒にいる。</p>

<p>高校の頃には一緒にバンドをやり、<br />
彼は大学進学のためにバンドをやめてからも私はずーっとバンドをやり続けていた。</p>

<p>そう言えばその頃から彼は少し「下品」だった。<br />
当時流行っていたKISSのメイクをして、火を吹く代わりにメリケン粉を吹きながら、<br />
いろんな下ネタを絶叫するバンドを見に来たクラスのマドンナは、<br />
それ以来私と口をきいてくれなくなった。</p>

<p>私は神戸の大学に進み、彼は早稲田に進むつもりが浪人してしまい、<br />
これでもう１０数年の腐れ縁は終わってしまうのかと思いきや、<br />
私が大学をやめて移り住んだところが高田馬場であったためにまた腐れ縁が復活した。</p>

<p>お父さんは東大出身、親戚は早稲田だ慶応だというエリート一家に生まれ、<br />
何が何でも早稲田に入るのだと三浪し、最後に日本大学に進んだ時には、<br />
「俺はアホなんや」<br />
と自己完結する何かが生まれ、現在の性格の全てを培ってしまっていた。</p>

<p>大学の頃に組んでたバンドが「おたっしゃクラブ」。<br />
コンテストに出てはウケはかっさらうが、審査員のナルチョに<br />
「いやーむっちゃくちゃ面白かったんだけどどんな音楽やってたか全然思い出せないんだわ」<br />
とコメントされ落選。</p>

<p>その音楽というのがそれはそれはお下劣であった。<br />
「便秘だからあなたにウンコを吸い出して欲しい」<br />
とか、それはそれは筆舌に堪え難い楽曲ばかりを演奏していた。</p>

<p>一度だけ私もライブでドラムを叩いたことがあるが、<br />
今は大プロデューサーになってしまった爆風銃ファンの根岸高宗に<br />
「末吉ぃ、言っちゃぁ悪いけど、あれはいかんと思うよ」<br />
ととくとくと言われ、昔の苦い思い出を思い出して早々と距離を置かせてもらった。</p>

<p>そんなことばかりやってたので当然のごとく彼は大学は留年し、<br />
結局入るのに３年かかって、出るのに５年かかっても卒業出来ず、<br />
そのまま除籍になってしまった。</p>

<p>当時毎晩のように飲んでた私は、その頃から彼の大物ぶりを目にするようになる。<br />
彼の母が泣きながら電話かかって来た時の話、<br />
「私はあんたをこんな人間にするために生んだんではない！！」<br />
泣きながら電話する母親に二日酔いで寝ぼけた頭で、<br />
「ほなお楽しみで生んだんでっか？」<br />
から始まり、母親はますます号泣することとなる。</p>

<p>さすがにこれはまずいと思った綾和也、マジになって母親を説得する。<br />
「おふくろ、あんたが泣いて俺がまともになるんやったらいくらでも泣きや、<br />
でも泣いたところで俺はどうせ変わらんやろ、<br />
ほな泣くだけ無駄や、笑いなはれ！！は、は、は！！」</p>

<p>これには隣で二日酔いで寝ていた私もさすがにぶったまげた。<br />
その後、その大物振りは続き、<br />
ある日、ミュージシャン仲間が勢揃いした狂気の花見大会、<br />
その後に目黒の綾和也のマンションになだれ込んだ一行の中に子供バンドの「やまとゆう」がいた。</p>

<p>主の綾和也や私が寝静まった後に「やまとゆう」の酒乱が勃発し、<br />
ガラスというガラスは全て割れ、<br />
急性アルコール中毒で救急車まで出る始末となっても綾和也はいっこうに起きる気配がない。<br />
常々苦情を言いに来る隣の住人もこの日ばかりは烈火の如く怒って怒鳴り込んで来た。<br />
その時起きている人達が精一杯あやまっても隣人は許してくれない。<br />
「これはただごとではないぞ・・・」<br />
みんなで綾和也を起こしに来た。<br />
隣で寝ていた私が先に起きて、「これは大変」とばかり綾和也を起こしたがやっぱり起きない。<br />
しかし「隣のおばはん」というキーワードにはさすがに敏感に反応して目を開けた。</p>

<p>一部始終をとくとくと語る友人たち・・・<br />
ふんふん、と半目を開けてそれを聞く綾和也・・・</p>

<p>「そうかぁ・・・隣のおばはんがそこまで怒ったかぁ・・・」<br />
深刻そうにそう言った綾和也、もう一言、<br />
「そりゃ隣のおばはんも可哀想になぁ・・・」<br />
と言ってまた寝てしまった。</p>

<p>私や友人達は開いた口が塞がらない。<br />
「あいつは俺たちとはスケールが違うんや・・・」<br />
あきらめてみんな寝た。</p>

<p>そう、彼は人間のスケールが違う。<br />
いや、もはや人間ではない！！<br />
魚類のような顔をして「友釣り」ならぬ釣りを楽しみ、<br />
酒を飲んでは必ず泥酔して前後不覚に陥る。</p>

<p>男性にはすこぶる人気があるが女性はなかなか縁がない。<br />
「ベッドの上では笑かしまっせ！！」<br />
が口説き文句なのだから、これでなびく女性が現れる方がむしろおかしい。</p>

<p>最近では自ら「ホモ」を宣言し、一生結婚することはないのだろうと周りが思っていた頃、<br />
元ファンキーコーポレーションの西部嬢からメールがあった。</p>

<p>「何と綾和也が結婚します！！１８歳の双子の娘の父親になります！！」</p>

<p>このニュースはあっと言う間に仲間内を駆け抜け、<br />
「１８歳の双子の娘と結婚するのか」と勘違いし、頭を豆腐に打ち付けて自殺しようとする者、<br />
「世も末じゃ」と念仏を唱えながら悶絶死する者が後を絶たず、<br />
これはその菩薩のような奥さんに一度綾和也の本当の姿を見て頂いて、<br />
それでも考え直さないならば周りも祝福しようではないかということに今回相成った。</p>

<p>何せ綾和也という男、友人の結婚式の司会を頼まれたことは数知れず、<br />
差別用語、下ネタはもちろんのこと、新郎新婦のご両親、親戚一同の前で<br />
「新婦は学生の頃は砲丸投げのチャンピオン、今は睾丸舐めのチャンピオンで御座います」<br />
という暴言を吐くほどの始末。</p>

<p>これで本人が結婚する時には仲間内が黙っているわけがない！！<br />
来たる３月２８日（日）１２時半より結婚披露、<br />
いや「綾和也の全てを披露パーティー」を行いたいと思います。</p>

<p>綾和也に恨み、いやご縁がある人には私が今から招待メールをお送りしたいと思うのですが、<br />
何せもうしばらく連絡を取ってない方もいらっしゃると思います。<br />
メールが来なかった人も是非私の方にご一報下さい。</p>

<p>こんなおもろいこと、いやめでたいことを<br />
みなさんで是非肴にして飲む、いやお祝いして飲もうではありませんか！！</p>

<p>幹事：ファンキー末吉<br />
司会：三井はんと和佐田はん（会場レポーター衛藤浩一）</p>

<p>出欠のご返事はこちらまで<br />
mailto:ayakazuyakekkonn@gmail.com<br />
ファンキー末吉</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>No.151 は番号振り間違えのため欠番です。</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.funkyblog.jp/mailmagazine/2009/12/no151.html" />
    <id>tag:www.funkyblog.jp,2009:/mailmagazine//4.1151</id>

    <published>2009-12-23T06:29:55Z</published>
    <updated>2010-05-04T06:30:50Z</updated>

    <summary></summary>
    <author>
        <name>Funky Sueyoshi</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.funkyblog.jp/mailmagazine/">
        
        
    </content>
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<entry>
    <title>No.150 X.Y.Z.→A１０周年記念ライブ</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.funkyblog.jp/mailmagazine/2009/11/no150_xyza.html" />
    <id>tag:www.funkyblog.jp,2009:/mailmagazine//4.1149</id>

    <published>2009-11-20T06:24:52Z</published>
    <updated>2010-05-04T06:26:07Z</updated>

    <summary>11月22日（日）　渋谷CLUB QUATTRO OPEN 16:30　STAR...</summary>
    <author>
        <name>Funky Sueyoshi</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.funkyblog.jp/mailmagazine/">
        <![CDATA[<p>11月22日（日）　渋谷CLUB QUATTRO<br />
OPEN 16:30　START　17：30</p>

<p>メンバーチェンジもせず、活動停止もせず、なんじゃかんじゃで１０周年。<br />
我ながら凄いことだと思い、明後日のライブにお世話になった人を招待しようと、<br />
連絡先データのいろんな人にBCCメールをお送りした。<br />
いやー数十年貯めているデータである。<br />
全体の数は１０００を超えるが、半数以上の人がまだメールのない時代のデータである。<br />
携帯電話もなかった頃だったりして自宅の電話番号しかなかったりもする。<br />
お世話になった方で「まだ届いてないぞ」と言う方は、<br />
データを消失してしまった可能性があるので是非ご一報下さい。</p>

<p>案内文のシメの言葉はいろいろ考えたのだが、<br />
「当年とって５０歳、<br />
年齢最高速最大音量のドラムを目指して命の限り叩かせて頂きたいと思います。<br />
見届けて頂けましたら幸いと存じます」<br />
にした。</p>

<p>実際この高速ツーバスを踏み続けると命に別状があるので、<br />
「おう！！見届けてやるぞ！！見事死んで来い！！」<br />
とか、<br />
「死んだら俺が骨を拾ってやる！！思う存分やれ！！」<br />
とかのResが来ると思ってたら、<br />
「JASRACとの戦い、頑張って下さい！！」<br />
とそちらばかりを応援される（苦笑）。</p>

<p>アホなブログネタ（http://funkyblog.jp/jasrac/）がネットニュースとなり、<br />
それがmixiのトップニュースとなり、あらゆる人が応援メールを頂いた。</p>

<p>でもそんなに大きな話になっても困るのよ・・・<br />
たかが「店に払えと言われた数万円がどこに消えるの？！！」と質問し続けてるだけやし・・・<br />
別に業界の人全てを背負って戦っているわけでも何でもない・・・</p>

<p>「それは数百のモニター店のサンプリングデータによって分配されてます」<br />
と言われても、そのデータも公表出来ない、どの店がモニターなのかも公表出来ない、<br />
モニター店をもっと増やす努力もしない、<br />
契約店に楽曲リストの提出を徹底させる努力もしない、<br />
結果としてはうちの店が払ったお金が誰にどう分配したかを知らせる義務もない、<br />
ではどうして支払える？</p>

<p>とまあその程度の話でしかないのでどうかそっとしておいて欲しい。<br />
また次にJASRACの人が来た場合にはその模様をみなさんにお伝えします。<br />
（だから来んのか・・・）</p>

<p><br />
ところで明日は盲目の天才ギタリスト田川ヒロアキのレコ発記念ライブ。<br />
http://fretpiano.com/hiechan/cdlive.shtml<br />
私は見に行けないどころか店で別のライブですがな・・・</p>

<p>田川くんとしては毎週水曜日に店でライブをやってくれているので、<br />
明日のライブはそのメンバーではなくスペシャルなメンバーでやりたかったんだと。<br />
しかしラウドパークで一緒に演った寺ちんはスケジュールが合わず、<br />
長谷川くんはかろうじてスケジュールが合ったが、じゃあベースはどうする？・・・</p>

<p>「スペシャールなメンバーだったらベースに石川俊介くん紹介しようか？」<br />
聖飢魔IIのファンでもある田川くん、この申し出には大喜びだが、<br />
初対面で憧れの人だと何から何まで自分で仕切らなければならない田川くん、<br />
「ちょっと演奏どころではなくなります。和佐田さんなんか空いてませんかねえ」</p>

<p>しかし和佐田はもともと私と一緒に店でライブの予定だったのでNG。</p>

<p>私は考えた。<br />
「じゃあもし石川くんがスケジュールOKやったら和佐田と石川くんを交換したらどや？」<br />
幸い明日のセッションリーダーは是方博邦さん。<br />
石川くんともよくセッションしてるし、この３人は初顔合わせなのでこれはこれで面白い。</p>

<p>「和佐田ぁ、ほな田川くんの方行ってくれんか？」</p>

<p>結局、店の方は「これいしFunkyセッション」<br />
そして鹿鳴館のベースは和佐田。<br />
もちろん和佐田も田川くんのためなら断る理由など何もない。<br />
二つ返事で引き受けたものの、曲を聞いて唖然とした。</p>

<p>む、む、難し過ぎますがな・・・</p>

<p>ギタリストがひとりで作ったアルバムである。<br />
ベースはギターとオールユニゾンだったり変拍子が入ったり、<br />
夕べも一生懸命コピーしたが４曲しか出来なかったらしい。<br />
しかもスケジュールの都合でリハーサルは当日リハのみ。</p>

<p>出来るのか和佐田？！！</p>

<p>ある意味、筋肉少女帯よりも難しい仕事だと言えよう。<br />
彼の奮闘を是非目黒鹿鳴館に見に行ってやって欲しい。</p>

<p>会場：　　東京目黒「鹿鳴館」<br />
日程：　　2009年11月21日(土)　17時開場-17時30分開演<br />
出演：　　Dr.長谷川浩二、Ba.和佐田達彦、Key.半田すなお、<br />
ゲストVO.田中雅之、and more...<br />
二井原のブログに詳しい説明が・・・<br />
http://blog.goo.ne.jp/m-niihara/e/ee996fd4f02db1450a58dbb44ac30f47</p>

<p>ファンキー末吉<br />
</p>]]>
        
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    <title>それより過去のバックナンバーは</title>
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    <id>tag:www.funkyblog.jp,2009:/mailmagazine//4.1178</id>

    <published>2009-11-01T01:52:51Z</published>
    <updated>2010-06-01T01:54:01Z</updated>

    <summary>こちらからご覧下さい。...</summary>
    <author>
        <name>Funky Sueyoshi</name>
        
    </author>
    
    
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