ひとりドラムの軌跡

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2016年5月26日

全中国ひとりドラムツアー2016年 湖南省「株洲市」

岳陽から株洲までは新幹線で1時間ほど。

駅には地元の王老師が迎えに来てくれていた。

初対面かと思ったら一度どこかでお会いしているらしく、
ツーショットの写真が送られて来たがどこだったか全然覚えていない(笑)

VisionZhuZhou2016WangLaoShi.PNG

手ぐすね引いて待っていた王老師は、ワシを車に乗せて1時間かけてこんなところに連れて行ってくれた・・・

VisionZhuZhou2016ShuiKu1.JPG

ここから船に乗って向こう岸のレストランで食事をするのだ・・・

VisionZhuZhou2016ShuiKu2.JPG

ここで「農家菜(NongJiaCai)」を食べながらいろんな話をした。
ここでまた新しい「朋友」を作ったという感覚である。

そもそもこの全国行脚、
振込詐欺に名前使われてワシのために金を用立てようとする老師まで現れるほど、
ワシにとっては全中国に「朋友」を作りに廻っているようなものである。

担当者のShaも、今では
「初対面でもほっとけばFunkyはまたきっと地元の老師と仲良くなって帰って来るから」
とでも思っているのか今回は全てほったらかしでついて来てもいない・・・

こう見えて実はワシは人見知りなのだが、
酒飲んでご馳走を頬張って、ひょんなことで自分の心が開くその瞬間を一生懸命逃さないようにしているだけなのだ。

今回は話の中でパールドラムのことで一気に盛り上がった。

「俺はねぇ、Sha兄貴に本当に感謝してるんだ。
どうしてもPearl倶楽部を立ち上げたくてね、
本当は元手が5万元ないと無理だと言われたんだけどね、
俺はこう言って説得したんだよ。
俺の口座には金がない!!でも俺の倉庫はPearlのドラムでいっぱいにして見せる!!
ってね・・・笑」

何で彼はそんなにもこのPearl倶楽部をやりたかったのか・・・
その答えとして彼はこんなことを言った。

「だってPearlドラムって牛逼(NiuBi:ファッキングレイトの意)でしょ!!」

担当のShaもいつも同じことを言うが、
Pearlドラムを売る立場の人間が言うのとはまた趣が違う・・・

「Funkyさんだってそうだからモニターやってるんでしょ?」

それにふたつ返事で
「当たり前じゃねぇか!!」
と言えない事情がワシにはあった。

実はワシはPearlの担当者にこんなことを言われたことがある。

「ファンキーさん、長年モニターやって頂いて本当に感謝してます。
でもひと言言わせてもらっていいですか、あんたどのドラム叩いても音いっしょ!!(笑)」

これはドラマーとしては一番大きな「誉め言葉」である。

でもじゃあどうしてYAMAHAじゃなくTAMAでもなくPearlなのか?
どうせ何叩いても同じ音なんだったらメーカーなんかこだわらなくてもいいじゃないか?・・・

それにはこんな理由がある。

その昔、爆風スランプがまだアマチュアだった頃、
仕事としてやらせて頂いてたクリスタルキングがYAMAHAの所属だったので、
まずはYAMAHAに「モニターをさせてもらいたい」と言ったら断られた。

爆風が名古屋のELL(まだ地下の小さいライブハウスの頃)でライブの時に、
同じく名古屋に本社があるTAMAに電話をかけた。

「モニターにしてもらいたくお電話させて頂きました。
今日名古屋でライブなのでよかったら見に来て頂けませんか」

これに対する担当者の答えはこうだった。
「あんたねぇ、モニターひとり契約したらこちらがいくら金がかかるか分かってんですか?」

まあ当時誰も知らないアンダーグラウンドのバンドのドラマーである。
「けんもほろろ」な対応、それは頷ける・・・

最後に千葉にあるPearl本社に行った。
誰も知らないアンダーグラウンドのバンドを担当の市岡さんは知っていた。

「爆風スランプ?知ってるよ。いいバンドじゃないか・・・」

クリスタルキングの名前でも何でもなく、
市岡さんは誰も知らないこのアンダーグラウンドのバンドの将来性を見てワシをモニターにしてくれたのだ・・・

そして爆風スランプは売れた。

パッパラー河合がYAMAHAのギターを使っていたことから、
ある日担当者がリハーサルにやって来てワシにこう言った。

「末吉くんもぼちぼちYAMAHAのモニターになったらどうだい?待遇よくするよ・・・」

「町工場」であるPearl楽器とは違う「大企業」である。
担当者もコロコロ変わるし、ある日バイクを売ってた人間がドラム担当になることもあるだろう、
別にこの担当者に何の罪もない。
仕事を一生懸命しているだけである。

しかしワシは机をバンと叩いてこう言った。

「あんた達はあの時俺を全く相手にしてくれなかったじゃないか。
誰も相手にしてくれなかった俺をPearlだけは相手にしてくれた。
俺は一生Pearlと一緒に生きてゆく!!」

思えばShaと初めて旅をした時
酒を飲んで同じ話をしてバンと机を叩いた。

「だから俺は一生Pearlドラマーさ!!」

この時から彼は「こいつと一緒にこの活動をやろう」と思ったのだろう。
今では「お前が生きてる限り俺はこの活動をブッキングするからな」と言う・・・

片やPearlドラムの魅力、片や人情話と「きっかけ」は違うけど、
この日また机をバンと叩いてこの話をするワシに、
王老師は同じようなシンパシーを感じたのであろう。

初対面のワシらはまるで何十年も一緒にこの活動をしている「戦友」のような気になって酒を酌み交わしたのだ。


翌日は昼間に本番!!

VisionZhuZhou2016Hall.JPG

またどでかい会場である・・・

VisionZhuZhou2016Audience.JPG

ステージもでかい!!

VisionZhuZhou2016Stage.JPG

いつものようにドラムをぶっ叩く!!

VisionZhuZhou2016Drumming.JPG

記念撮影・・・

VisionZhuZhou2016Students.JPG

資本金が足りなくてこのPearl倶楽部を開くのが困難だった王老師・・・
今ではこんなに生徒がいる。
Pearl倶楽部としては全国でも規模が大きい方だろう・・・

ワシなんかよりももっともっとこのPearlドラムを愛し、
文字通り彼んとこの倉庫にはPearlドラムがいっぱいあるのだろう・・・

中国でドラムセットを売ってゆく・・・
「楽器屋なんかに卸したって誰がドラムなんて買うかよ」
そう考えたShaは全国にこのPearl倶楽部を今では100以上作っている。

「有名ドラマーをモニターにしたって誰がドラムなんて買うかよ」
そう考えたShaはこんな全国のPearl倶楽部の先生達をモニターにした。

こんなPearlドラムを心から愛する老師達が、
その生徒達がドラムを買いたいと言ったら当然ながらPearlドラムを勧める。

地元でドラムセットを購入しようという人間は当然ドラマーなんだから、
当然地元のこのPearl倶楽部のことを知っている。
初心者だったら習いに来るだろう。

楽器屋なんかに卸すよりも確実にPearlドラムが売れてゆくのだ。

このからくりに気付いた他のドラムメーカーは、
このPearl倶楽部のシステムごと乗っ取ろうとする。

「え?Pearlは卸値で貴方のところに卸してるんですか?
ヒドいですねぇ。ここの教室のドラムを全部うちのドラムにしてくれたら最初のセットは全部タダで差し上げますよ!!」

ところが各Pearl倶楽部の老師達は首を縦に振らない。
そうさせないためにワシが全国のPearl倶楽部を廻っている。

「Shaとは義兄弟だ。Funkyさんとはマブダチだ。友達を裏切るわけにはいかない」

こうやって今日もこの広い中国大陸でまたPearlドラムが売れてゆく・・・YAMAHAよりもTAMAよりも多くのドラムがこうやって売れてゆくのだ・・・

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2016年5月25日

全中国ひとりドラムツアー2016年 湖南省「岳陽市」

「5月19日から23日まで空いてるか?」
とメッセージが届いたのが2ヶ月ほど前だから、
突然来る歌手のバックなどの仕事よりもよっぽど段取りがよい(笑)

「今回は俺はついて行けないからお前ひとりで頼むよ」
と言うので「もう慣れたもん」とばかりに列車に飛び乗った。

「岳陽」を「洛陽」と見間違えてたワシは、
鄭州を越えた辺りで、
「列車が南に進んでるやん!!西に行けばすぐ洛陽なのに・・・」
と一瞬不安になるが、
6時間かけてやっと「岳陽」に着いた。

岳陽はワシがパスポートを失くして大変だったところ・・・

その1
その2
その3
その4
その5

駅まで迎えに来てくれた張老師と一杯!!

 VisionYueYang2016ZhangLaoShi.JPG

いや〜パスポート紛失の祭にはいろいろお世話になりました!!

現場に来れない担当者のShaからは
「くれぐれもFunkyを命がけで接待するんだぞ!!」
と指令が飛んでいるのでもう毎食湖南料理の山!!

お隣の長沙名物の臭豆腐!!

VisionYueYang2016ChouDoufu.JPG

独特の調味料が地元風味!!

翌日は洞庭湖で取れた魚の頭!!

VisionYueYang2016YuTou.JPG

このスープをメシにぶっかけると絶品!!

VisionYueYang2016Zhou.JPG

そもそもこの辺のレストランではメシがおひつに入れられてテーブルの上に置かれていて食放題なのだ・・・

VisionYueYang2016MiFan.JPG

それだけこの辛い湖南料理と白飯は合うということ・・・
また「幸せ」をいっぱい皮膚の下に溜め込んでしまいました!!(笑)

会場に着いたら何やらどでかい大仏さんのようなものがステージにどんと座っている(驚)

VisionYueYang2016Stage.JPG

ステージが暗転になったりすると不気味である・・・

VisionYueYang2016Dark.JPG

子供達を見守っているかのようにも見える・・・

VisionYueYang2016Kids.JPG

自分も見守られてドラムを叩く!!

VisionYueYang2016Drumming.JPG

記念撮影!!

VisionYueYang2016Photo.JPG

打ち上げ!!

VisionYueYang2016Uchiage.JPG

もうね、Shaから命じられた張老師が、
若い衆に「お前らわかってんだろうな!!」と命じるので、皆さんもう命がけの接待!!(笑)

いろんな湖南料理が出て来たけど、珍しい一品はこれ!!

VisionYueYang2016Hebi.JPG

まあいわゆる・・・「蛇」ですな・・・

湖南料理の味付けでお味の方はいいのですが・・・
別に食材はこれでなければあかんのかと言った感じ・・・(笑)

メシの上にのっけるとリアル・・・

VisionYueYang2016HebiMeshi.JPG

翌日は・・・これは・・・「鳩」ですな・・・

VisionYueYang2016Hato.JPG

お味もシンプルで非常に旨かったのだが、「別にチキンでもいいのでは・・・」と思うのはワシだけだろうか・・・(笑)

杜甫や李白が詩を詠んだという洞庭湖の君山島を見学して次の土地「株洲(ZhuZhou)」へと向かいました!!

VisionYueYang2016DongTingHu1.JPG

VisionYueYang2016DongTingHu2.JPG

VisionYueYang2016DongTingHu3.JPG

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2016年5月17日

続・日本に家を買いに来る中国人・・・そしてワシは仕事に追われる(>_<)

もうね、「続々」と言ってもいいぐらい(笑)
この人たちねぇ、ホントに金持ちなのよ・・・

この前北京でレコーディングが終わったらそのまま「メシ行こう」となって連れて行かれたのがそんなおひとりのご自宅・・・

もうね・・・お屋敷!!!(◎_◎;)

調度品はねぇ・・・まるで西安の兵馬桶(笑)
何せ掘り出して土偶がちょっと欠けてる感じがもう「調度品」というよりは「博物館」(驚)

通された居間はプロバンドがリハーサルする都筑スタジオや芝浦スタジオ並みに広い!(◎_◎;)

そこに並ぶ料理が逆に豪勢なのではなく普通のイスラム料理なのが逆に凄い!!
「この店はなぁ、美味しくていつも長蛇の列でなかなか食べられないんだぞ」
と言いながらそこのシェフが自宅でそこの料理を作ってくれてるのだ(驚)

ワインがまた超高級!!

・・・というよりそれを飲むグラスがまた高級で、
「乾杯〜」と言ってグラスをぶつけると「チーン」といって音がいつまででも共鳴して鳴り止まん(驚)

居間には池があって・・・って部屋の中に池があるのよ!!
中には鯉が何匹も泳いでいて、それは全部日本から空輸したんだと!(◎_◎;)

そんなところに住んでる人が日本で5000万ぐらいの家なんて見たらまるで「箱庭」やんな・・・
日本人からしたら軽井沢の5000万の別荘なんて「むっちゃ高級やん」ってな感じやけどな(涙)

まああんまし高い物件はなかなか借り手がつかんかったり投機目的としては有利ではないということで5000万ぐらいとこでも買っとくか、みたいな・・・(眩暈)

それより何億もする物件なんてそんなに売ってないがな・・・ふつうの日本人高過ぎて買えんし(>_<)


というわけで今回のLuanShuの来日にはそんなお金持ちグループの中のひとり、
中国を代表するオリンピック選手が一緒に来日した。

ここまで来ると「国の宝」なので国家は税金を免除にするんだとか・・・(驚)
まあ税金もかからんし家でも買うとこか、みたいな・・・

もうね、ワシ不動産なんか全然わからんし、秘書の茜ちゃんに丸投げ!!(笑)

これで美味いメシだけ一緒に食えれば万々歳と思ってたら、
今回はLuanShu、いろいろレコーディングの仕事持って来たのよね〜・・・

日本で2曲ギターと2曲ブラス・・・
「最近知り合った日本人のプロデューサーとやってみたい」
と言うので
「それは是非是非そうして下さい(笑)」
とばかりワシはブラスだけを担当・・・
・・・と言いつつちょうどその日は名古屋空港から北京に帰るので寺内に丸投げ!!(笑)

そもそもワシはそのために来日したのではなく、
高円寺でのひとりドラムと、翌日の昼間千葉朝鮮学校と終わってそのまま夜豊橋っつう無茶なブッキンツのために来日したのよ〜

激安チケットが11日の夜中出発の便だったのでたまたま数日前に着いただけで、
まるで「仕事する」みたいなつもりはなかったのよ〜

ところが着いたその日にLuanShuから
「急ぎでドラム1曲レコーディングしてくれ」
と発注が来る。

夜中にせっせこドラムをセッティング、
「いつでも録れるよ」
となってアレンジが仕上がるのを待つ。

YonakaDrumSet.jpg

詞が上がったらすぐに彼が仮歌歌ってDEMOを録り、
北京に送って歌手がそれを練習するらしい・・・

アレンジはアメリカで張毅(ZhangYi)が担当しているらしく、
アレンジが上がったらアメリカから送って来るから、
そのデータに合わせてすぐにドラム録って、
そのままベースとギターも録って、
北京でボーカルと生のストリングスレコーディングして、
それが送られて来たらそのまま日本でミックスして、
その合間に東京と軽井沢で物件を見る!(◎_◎;)

もうね、これやっぱ無茶苦茶なスケジュールでしょ・・・

いつでもドラムが録れる状態のまま車運転して到着する彼らを迎えに行く。
とりあえずツラ突き合わせてうまいことスケジューリングしないと、
結局ワシが動けるのは翌日の高円寺のライブの入り時間までしかないのだ・・・

昼間にスケジューリングして夜は不動産の人と食事、
その合間にホテルの部屋で仮歌を録る。

あとはアレンジを待ってからドラム録り・・・
と思ったらメシの方が先になってしまった(>_<)

「あれ?飲まないの?」
・・・って車やし〜それにアレンジ上がったらすぐにドラム録らな・・・

「ドラムは明日でいいよ」

!(◎_◎;)

・・・そやなぁ・・・美味しいもん食べて酒飲まんのもなぁ・・・乾杯!!

というわけで結局車は駐車場に置いたままカプセルホテルに泊まる・・・
・・・と実はこれが後にスケジュール的に大変なこととなるのだ(>_<)


カプセルホテルで朝8時に起きて、車運転して八王子まで帰って、
まずDEMOの音源に仮歌を乗せて簡単なDEMOにして北京に送る。

そしてお隣のエンジニア仮谷くんを呼び出してドラム録り!!

本来ならばプロデューサーが立ち会ってディレクションするのだが、
「遠いから行かない!!お任せ!!」
と言って物件を見に行った(>_<)

「お任せ!!」はいいのだが、そうすると叩き終わった音源をドラムの音大きめに仮ミックスしてWeChatで送って、それ聞いて「ここ直して」に対応して、また叩いて仮ミックスして送り直して・・・

時間かかるのよ・・・(涙)

なんとか高円寺の入り時間ギリギリまでやって無事脱出!!・・・
と思ったら
「歌手の人のための歌のガイドDEMOを作ってくれ」
と・・・!(◎_◎;)

「朝送ったでしょ・・・」
「あんな簡単なんじゃダメ!!歌手が聞くんだから仮歌もちゃんとエディットしてドラムとベースも本物入れて製品レベルのDEMOにして!!」

!(◎_◎;)

マルチが送られて来てまへんがな・・・(涙)

いや、アメリカから何やらファイルは送られて来たのだが、
それは中国でDLしやすい形式で日本では開かんかったので、
ドラムは実は2ミックスのDEMOに合わせてレコーディングしたのだ・・・

時差はあるけど向こうが夜中だろうが何だろうが
「すぐ送れ!!」
とアメリカに連絡して取りあえずドラムと同じやり方でベースだけ録音!!

アメリカからマルチが届いたらDLしてそのベースデータも入れて仮歌入れて仮ミックス・・・

ちなみにワシは高円寺のライブハウスにいるのでこの作業は仮谷くんがするのだが、
物件見てるLuanShuから、アメリカの張毅(ZhangYi)から、北京のスタジオから、
全ての連絡はワシに来るのでいちいちライブハウスの外で電話したりもう大変!!(>_<)

「え?夜ライブだって?みんなで見に行くよ」
・・・って逆に大変だから来なくていいし・・・って思ってたら来た。

これはそのオリンピック選手がWeChatにUPした投稿・・・

KouenjiHitoriDruming.jpg

看日本鼓王现场演出,鼓王的梦想就是世界巡演到处流浪,在九十年代大红大紫的时候选择来了中国,值得尊敬的艺术大家

「日本のドラムキングのライブ、ドラムキングの夢は世界じゅうを放浪しながらツアーしたいんだと。90年代一番売れてた時に中国に来ることを選択したんだと。ほんと尊敬に値する大芸術家だわ」

・・・ってあーた!!中国の国宝級の金メダリストが高円寺のアンダーグラウンドなライブハウスの最前列にいること自体がおかしいでしょ!!(◎_◎;)

というわけでそのまま飲み!!
終電乗り過ごして何とか帰宅してちょっと仮眠して千葉の朝鮮学校!!

ChibaChousenGakkou2016Stage.jpg

もうね、大阪の朝鮮学校ん時もそうだったけど、
学校が七輪をたくさん持ってて校庭で焼肉焼くのな・・・(>_<)

ChibaChousenGakkou2016Yakiniku.jpg

在日の幹部クラスの人に捕まってマッコリのビール割を飲まされて、
「どうしてこの後にスケジュールを入れてしまったのだろう」
と後悔しながら新幹線に飛び乗って豊橋へ・・・

もちろん新幹線の中でも中国からアメリカからひっきりなしに連絡が入る(>_<)

開場時間ギリギリに会場着いてすぐにイベント開始!!
今回は「ファンキー末吉公開処刑」と銘打って
「アマチュアバンドの曲を一度聞いただけですぐに叩けるかどうか」
ということをやらされる(酒の上で「出来る」と豪語したのでこうなったのであるが)イベントである。

結果はこちら

もうね、「Helpカード」と言って、一度だけ聞き直せるカードを出すと、
その代わりにバーボンをロックで一気飲みせないかんのでもうベロンベロン(笑)

そんな打ち上げの中、中国から
「アメリカから送られて来たマルチデータがグーグルなので中国では開けん」
と来る(>_<)

「VPN入れろよ!!」
と言いたいところを我慢して、
こちらでDLしてQQメールで中国に送る・・・

QQメールは大容量のファイルも送れて便利なのよねぇ。。。

・・・と言いながら中国語なのでそれを使ってない仮谷くんからファイル便で送られて来たファイルが「日本語なのでDLわからん」ということでそれも送り直す・・・(>_<)

この日は宿は取らず、ライブハウスが布団用意してくれてそこに泊まるということで、
ライブハウスが仕事場となって作業の後、
翌日は朝から田川くんがギター入れ・・・

もうね、「通訳用意するから直接やり取りしてね」の世界・・・(>_<)

午後はブラスのレコーディングと仮谷くんのミックスが同時進行・・・
そんな中、秘書の茜ちゃんから連絡が入る。

「物件決まりました」

え、誰がどこの物件買ったの????!!(◎_◎;)

いや、言わなくていい・・・
ワシはもう夜の便で北京帰りますんで後のことは皆さんでやって下さい・・・(>_<)

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2016年5月12日

中国で活動したい若い(おっさんも可)ドラマー求む!!(女子も可)

中国ロックの歴史も語り始めると長くなるが、
その中での一場面、北京で最初に出来た日本居酒屋の大将、田端さんには当時大変世話になった。

(ワシの著書「大陸ロック漂流記」に書かれているそれに関するページ)
IzakayaChoji.jpg

田端さんはその数年後に亡くなってしまい、
ひょんなことから田端さんに息子がいたことを知る。

しかもヘビーメタルなどを聞いたがばかりにグレて学校もやめて今だに金にもならないバンド活動なんかをやっている。

バンド名をNever Beforeと言う。
(サイトはこちら

ワシもこのライブを見に行った。
なかなかいいバンドである。

見ての通りドラマーはスウェーデン人の女性なのだが、
その後病気になってバンドを正式に脱退している。

ヘルプのドラマーを入れて全国ツアーなどを廻っていたが、
そのドラマーも来れなくなってこのイベントこのイベントではワシがドラムを叩いた。

もちろんギャラなんか出るわけはない。
「バンド貯金」なるものがあってその中から美味いもんとかビールをご馳走してくれた(笑)

まだまだペーペーのバンドである。
しかし考えてみたらヴァッケン・メタルバトルの中国大会の最終予選にまで毎回残ってたり、
サブステージとは言え中国最大のロックイベントに出演出来るなんてアンダーグラウンドバンドにしてはなかなかのもんではないか・・・

「まあヒマな時にはいつでもドラム叩いてやるよ」
とは言ってるのだが、
この仕事、やはり連休とか週末とかに集中するので、
今度のイベントもパールドラムのツアーが入っていて叩いてあげられない。

「まあ気長にドラマー探しますわ」
と言うので
「ほなブログで募集したろか?」
というわけでこんなブログをUPしているというわけだ。

さて、メンバーの中ではこのギターの田端翔くんが日本人ということで、
取り敢えずはすぐに中国語が喋れなくてもバンド活動は出来るという好条件!!

しかし「食ってゆく」のは並大抵のことではない。

「油そばの店を一軒立ち上げますからそこでバイト出来ます」
と言ってたが、いざこうしてブログを書き始めたらその話は潰れていた(笑)

タバタバーもまだ給料を払って従業員をというレベルではないだろうから、
バンドのメンバーみんなでお手伝いをしてタダ酒ぐらいは飲めるだろうが、
それだけで生活してゆくのは難しいだろう・・・

まあいいことばかりを並べていざ中国に行ったら「こんなはずじゃなかった」などとなってもいけないので辛めに書いておこう。

まずは「貧乏に強いこと」、これが絶対の条件です。

住む部屋も今の北京の物価を考えたらろくなところには住めないだろう。
でも食うものはまあ庶民が食ってるものはまだまだ安いし、
ビールも大瓶一本100円しないので最低の生活で死ぬことはない。

ビザは最近はキツくなってワシの持っているMビザというビザも3ヶ月に1回は国外に一度出国せねばならない。

まあ香港でもいいわけだから3ヶ月に1回鈍行で2日かけて貧乏旅行するのもいいだろう。
「バックパッカー」の才能も必要やな(笑)

さて肝心のドラムの方だが、
ワシも叩いてみて思ったのだが、結構難しい。

シャッフルの曲も多く、3連を叩いた事のないドラマーにはちと難しいかな・・・

メタルのゴリゴリのしか叩けないという人よりは、
いろんなジャンルを柔軟に叩いてゆける人の方がいいかも知れない・・・

まあとは言ってもスタジオミュージシャン的である必要は全くなく、
別にみんなでリハーサルで作り上げてゆくのだから個性のあるドラマーだったらそれでいいかなと思う。

とりあえずサイトに何曲かUPされているので聞いてみて、
「俺(私も可)にも出来そうかな」と思ったら自分の叩いている音源か何かを送ってもらえれば翔くんに転送します。

ワシ的には一番好きな曲はこれなのだが・・・

とサイトにUPされてない曲をUPするならアルバム全部UPしちゃれ!!
というわけでこちら!!
(注:中国からはVPNがないとDropboxにアクセス出来ません)

「いいじゃんこのバンド!!俺(私も可)やりたい!!」
と思った方はこちらにメール下さい。

まあ1年ぐらいは腰を落ち着けて貧乏に耐えてやっていける人じゃないと難しいかな・・・
おっさんでもいいけど家庭とか持ってたら1年ほったらかして遊んでるのも難しいでしょう・・・
オリジナルメンバーが女性ドラマーなので女性でもいいけどサバイバルが難しいかな・・・

まあ兎にも角にも中国語を勉強せんと生きてはいけんからな、
その辺も頑張らないかんな・・・

でもねえ、辛いことばっかり言ってるけど、
もし成功したらデカいよ!!

全曲英語で歌ってるから中国のヒットチャートに乗って流行歌のように大スターというのは無理やけど、
ロックバンドとしてひとつのステイタスを作ったらこの国はおそらく現在世界で一番ロックフェスの多い国やからね・・・

日本で才能を持て余してる若いドラマーよ!!
新天地で貧乏に耐えて1年頑張ってみないか!!

連絡を待つ・・・

Posted by ファンキー末吉 at:10:49 | 固定リンク

2016年5月11日

楽屋は同窓会

2016年5月9日、工人体育館にて行われた「中国ロック30年の歴史コンサート」の模様がネットにUPされている。

フルバージョンはこちら

それぞれの演目も別個にUPされているので、
ゆかりのある方々の思い出なんかと共に紹介していこうと思います。


まず最初の「オープニングメドレー」に関しては、
曲目についてこちらで説明してますが、
面白かったのはリハーサルの時、
この曲は総監督が直々に色々指示を出すのだけれども、
最後の「国際歌」に関して「みんなで揃えて手拍子をするように」とか色々ウルサイ(笑)

きっとこれだけが「お国」のもんだから、
何か粗相があったら大変だという感じなのだろうか・・・
なかなか「中国的」で面白かった。

この「国際歌」を歌っているのが李夏(LiXia)。

老呉(LaoWu)と同じく寧夏出身で、
毎年ESPミュージックアカデミーが行っている「馬場の中心で愛を叫ぶ」というイベントで去年来日した。

立東(LiDong)というオルタナティブロックのバンド
(同じ名前で民謡ロックのようなアコースティックバージョンも演奏したりする)
をやっていて、過去には小畑秀光も飛び入りしたことがある。

中国好声音というオーディション番組に出たことで有名になり、
そのイベントにワシがドラマーとして呼ばれて一緒に出たり、
モンゴルの草原イベントではトリを飾ったりしている。

昔は貧民街の院子でワシらと一緒に住んでいたが、
ワシらが立ち退きで今の院子に引っ越して来たら彼も偶然近所に引っ越して来たのでまた「ご近所さん」である。


このオープニングメドレーはワシがドラムを叩いているが、
次の出演者「爽子(ShuangZi)」もワシが叩く。

映像はこちら

彼とも色んな思い出があるが、
まずは彼のデビューアルバムをプロデュースするということで知り合ったのだが、
結局は彼女と手に手を取ってタイに逃亡して流れてしまった(笑)

その後別の人間によってアルバムは完成され、
その中にはワシがその時に作った曲も収録されているらしく、
今回のライブではその曲も演奏された。

彼と一緒にライブをやるのは彼のデビューアルバム発売ライブの時以来だが、
実はVoThMの北京ライブも見に来ていて、打ち上げの時に
「あのベースの人をレコーディングに呼べるか」
などと言ったりしてたので、渡辺英樹さんが生きてたら一緒にやるチャンスもあったのにね・・・(涙)


次の出演者は天堂(TianTang)

もうね、歴史だけは長いがあんまし売れないうちに「大御所」になってしまったバンドなのだが(笑)、
ベースの九(Jiu)というのがいつも色々バンドのために動いていて、
最初に出会った時には「この曲をアレンジしてくれ」と頼まれたのだが、
そのアレンジが素晴らしいということで次には
「Funkyさん、うちのバンドに入りませんか」
と来る(笑)

中国のバンドはライブ収入だけが命なので、
ワシのように日本でスケジュールが入る人間は「バンド」という形では無理ですと断ったのだが、
結局そのアレンジ料は今ももらえていない(>_<)

まあ「バンドのメンバーにしたらドラムの能力だけじゃなくこのアレンジ能力もタダで使えるから」とでも思ったのだろう(笑)

その後そのアルバムはLuanShuがプロデュースして制作することになり、
当時ドラマーが不在だった彼らのレコーディングに「仕事」としてドラムを叩いたのでまあよしとしている(笑)

もうね、会えば必ずモノを頼むのがこいつ(>_<)

先日も洛陽のイベントで一緒になったのだが、
「久しぶり」ということでWeChatアドレスを交換したらさっそく彼が経営かなんかしている音楽学校のためにビデオコメントを撮って送ってくれと言って来る(>_<)

もうね、慣れた(笑)・・・憎めないハゲである。


そしてステージは初対面の若いバンドを挟んで唐朝老五(TangChaoLaoWu)!!

ここでもドラムを叩きました・・・こちら

彼は唐朝脱退後に絵を描いたり芸術家として活動していたが、
そのギタースタイルである早弾きギターソロとはちょっと違うアコースティックなものを追求していたようだ。

当然ながら彼のような伝説のギタリストにファンが求めるものは、
やはり変わらずロックで早弾きで〜みたいなものなのだが、
今回の選曲は、彼のやりたいアコギの世界観と、
ファンが求める早弾きロック曲とがどちらも混在していてよかったと思う。

「一緒にツアーを廻ろう」と言われているのでツアーが実現することを楽しみしているぞ・・・


また若いバンドを挟んで、張楚(ZhangChu)!!
(ライブはこちら)

実は彼との間にはには書いたのだがブログには書き切れなかった大きなエピソードがある。

初めて北京にやって来た1990年の時、
最終日にホテルのボーイに
「いつもお前たち若者が遊んでるところに連れてってくれ」
と頼んで連れて行かれた音楽茶座・・・まあカラオケのあるパブみたいなものなのだが、
そこのウェイターに
「Do you have any Rock'n Roll Music in Beijing?」
と聞いた時に、従業員控え室からそれを聞いて
「Oh!! Do you wana Rock'n Roll?!!」
と叫んで飛び出して来たイカれたパンクスが彼だった。

「お前はラッキーだ!!今日はバンドが4つ出るパーティーがある。お前も行くか?」
と言って連れて行かれた地下クラブで演奏していたのが黒豹

「中国にロックを見つけた!!」
と興奮したワシが今に至るきっかけを作ったのは実は彼だったのだ。

そして実はその次の日、
「天安門広場で彼の歌を彼の代わりに歌ってやる」
となって教えてもらった曲がこのライブでも歌っている蚂蚁蚂蚁(MaYiMaYi)という曲

今はオシャレにレゲエかなんかで歌ってるけど、
「中国人は蟻と同じだ!!大きな足で踏み潰される!!」
というパンクな曲だった。

サビの「マイマイ・・・」というのがライブでは
「マビマビ・・・(Fuck Your Motherの意)」
となるという恐ろしい曲をいざ自分が天安門広場で歌うとなると恐怖で身体がすくんで歌えなかったというエピソードもある。

当時は文字通りロックをやるのも命がけだったからね・・・


そしてステージは黒豹のライブ!!
単体の映像が見つからないので彼らのドキュメンタリー番組を!!

5人目のボーカル加入のエピソードを語っているが、
数々の思い出があり過ぎてとてもじゃないけどここでは書き切れない・・・

またチャンスを見て書いてゆこうと思う。


そしてステージはBEYONDのベーシストSTEAVEこと黄家強!!

もうね、会うの10数年ぶり(感涙)

最後に会ったのは確かこの時のライブの打ち上げだったと思う。
あれから彼は日本人と結婚して子供が二人いると言う。

チャンスがあったら一度その奥さんともお会いしてみたいものだ・・・

ライブを見て思ったのだが、
同じ曲でもWINGが歌ってるのと全然違うな(当たり前か・・・)

最後の「光輝歳月」を聞いたら不覚にも涙が出て来た。

人種差別と戦って生きた黒人の曲、
「虹があんなに美しいのは色と色とが分かれてないからだ」
と歌った黄家駒はもういない・・・

黄家駒が東京女子医大病院で死んだ時、
途方に暮れた3人が
「中心を失ってしまってこれからどうやって活動してゆこう」
とワシに相談して来た時の彼の姿を思い出しちゃってね・・・

今は彼とPAULが仲違いしちゃってBEYOND再結成の話は流れてしまったらしいけど、
またいつでもいいから3人集まって再結成して欲しいなと思っているのはワシだけではあるまい・・・


さてステージはもうラス前となってしまって鄭鈞(Zheng Jun)!!

ライブ映像はこちら

彼とは一緒に飲んだりはしてたのだが仲々一緒に演奏するチャンスはなく、
実は今回からのツアーメンバーとしてオファーが来たのだが、
残念ながら一本だけスケジュールが合わなくて流れてしまった・・・(涙)

また次のチャンスを心待ちにしているぞ・・・


そして大ラスはLuanShu!!

ライブ映像はこちら!!

ゲストボーカルの周暁欧(Zhou XiaoOu)とは零点(LingDian)のプロデュースをしてた頃から数多くの思い出があるが、
それもここでは書き切れないので別の機会に書いてゆきたいと思う。

馬上又はマグロ漁船のヨウヨウさん。

去年実現しなかったこの企画、今年こそは実現したいと言っていた。
楽しみにしてます〜

そして李漠(LiMo)ともたくさんのエピソードがある。

結婚して子供を産んでしばらく産休してたので会うのは数年ぶりで、
見た感じプロデューサーのLuanShuとあまりうまくいってないように感じたが、
「何か困ったことがあったら訪ねて来い」
と耳打ちしておいた・・・


さてライブ終わって打ち上げ!!
もう写真撮るのも忘れるぐらいのぐっちゃぐちゃ(笑)

特にプロデューサーなんだろうが偉い女性の酔っ払い具合が半端じゃなく、
ワシも何度となくイッキさされて、ご本人は白酒飲み過ぎで酔い潰れて両肩支えられて連れて帰られた豪傑である。

リハーサルの時から
「Funky〜久しぶり!!」
と言われたのだが実はワシはどこで会ったのか全然覚えてない(笑)

まあ今年で26年北京にいるんだから会ったことのある人も数も半端じゃないのでいちいち覚えてないのだが、
昔若かりし頃(失礼)はやはり相当なロックファンだったのだろう。

それが今は共産党幹部ぐらいまで上りつめちゃったんじゃないかな、
この豪傑のおかげで今回のコンサートを開くことが出来たのであろう。

中国ロックが生まれてこの日でちょうど30年、
当時中国政府から忌み嫌われていたロックの洗礼を受けた若者たちが、
今は政府の中枢に入ってたりする。

その人たちが今の中国のロックを支えているのだ。

この日はそんな連中ととことん飲ませて頂いた・・・
またチャンスがあったら集まろう!!

素敵な仲間たちに乾杯!!

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2016年5月 9日

中国ロック30年の歴史コンサート

「5月9日空いてるか?」
最初にワシにそう声をかけたのはLuanShu・・・

遊びの誘いかと思ったらコンサートがあるというところから始まった。

次に声をかけたのが爽子(ShuangZi)

「ドラマーが最近忙しいのでファンキーさん今度から僕のバンドで叩いてくれませんか」
と言われてOKは出したものの、
「5月9日です」
と言うので
「その日はスケジュールが入ってるから・・・」
と断ろうと思ったら同じイベントだったというわけだ。

その後中国ロックの歴史の人「唐朝老五(TangChaoLaoWu)」からも連絡が来る。

ワシのインタビュー記事の中でも出て来る伝説のギタリスト。
彼の登場が中国ロック界においてどれだけインパクトがでかかったが想像される・・・

彼の場合は
「バンド組んでツアーとか廻りたいんだけど」
と人に相談したら
「じゃあドラムはファンキーしかいないよ」
とみんなに言われて連絡して来たと言う(笑)

また「5月9日空いてる?」と言うので
「ひょっとしてこのイベント?」
ということであれよあれよと言う間に3つ叩くことになった。

ちなみにLuanShuは「礼物(LiWu)」という曲を演るということで、ギタリストとして彼も呼ばれている。

結局、中国ロックにゆかりが多い人はいろんなバンドで呼ばれるから出番が多くなるということらしい・・・

ちなみに唐朝老五(TangChaoLaoWu)のバンドは、
「ベースは誰にする?」
と言うので、
「日本人ベーシストだったら紹介するよ」
ということでなし崩しに有希子(よーしーず)に決まり、
リハをすると言うので行ってみたらキーボードは張張(ZhangZhang)だった(笑)

ギタリストは、よく一緒に仕事をしている「姚林(YaoLin)で、
このイベントの音楽監督も務めてるらしい。

彼から「オープニング曲もお願いしますよ〜」ということで結局ワシの出演は4バンド!!
しかし張張(ZhangZhang)はそれにレギュラーの鄭鈞(ZhengJun)の出演もあるので5つ!(◎_◎;)

デブ・・・よく頑張るのう・・・(笑)

まあワシらは基本的に「ミュージシャン」として呼ばれているわけだが、
ワシだけは何故か「特別ゲスト」としてクレジットされてポスターに写真まで載っている!(◎_◎;)

20160509Flyer.jpeg

ワシも「中国ロックに貢献した出演者」とされていることは非常に光栄なことだとありがたい気持ちで一杯である。

まあワシの場合には何のしがらみもないのでいいが、
出演者の交渉はかなり難航したという噂で、
例えば唐朝老五(TangChaoLaoWu)の場合はバンド名を芸名として名乗っているものの、バンド自体はとっくの昔に脱退していて、
当の唐朝(TangChao)とはあまり仲がよろしくないようで、
「あいつが出るんだったら俺は出ない」
みたいなこともあるだろうし、
LuanShu自体も黒豹を脱退してからバンドと日本JVC相手に訴訟騒ぎまで起こしているが、
これに関してはもう雪解けしてるようで、
「俺のギャラが黒豹より安かったら出ないよ」
ぐらいで解決したとかしないとか・・・!(◎_◎;)

まあそんなこんなで(というかスケジュール的なものが大きいのだろうが)出演出来なかったロックレジェンド達がいくつかいるわけで、
イベントとしてはオープニングのプログラムとしてそのレジェンド達の代表曲をメドレーにして、それをまだ売れてないロッカー達に歌わせようということになったようだ。

CHINA ROCK 30 オープニングメドレー

まず1曲目は何勇(HeYong)姑娘漂亮(GuNiangPiaoLiang)

「この曲も中国人なら誰でも知ってる曲なんですか??」
メドレーのDEMO音源を渡されて訝しがる有希子(よーしーず)(笑)

まあ日本のアマチュアバンドのデモテープのようなこの曲もあの時期一世を風靡した。
「お嬢さんお嬢さん、綺麗だね。警察警察、銃持ってるね」
というこの歌は当時の中国においてはむちゃくちゃインパクトがあった曲である。

彼との思い出は、若くして亡くなった唐朝のベーシスト張炬(ZhangJu)の葬式の時・・・

若いミュージシャン同士仲がよかったのだろう、号泣し、酒を飲んで暴れ、他の人とケンカをする彼を「パンクだなぁ・・・」と思ってぼーっと見てた。。。

2曲目は竇唯(DouWei)高級動物(GaoJiDongWu)

この曲は確か彼が九州の音楽イベントのために来日した時に、
ドラマーが来れなくて代わりに叩いた記憶がある。

黒豹のボーカルとして一世を風靡しながら、
脱退してその後はこの路線(現在はもっと難解な音楽)を進んでいるが、
あのまま黒豹に在籍していたら・・・と考える人間はワシだけではないだろう。

中国ロックを大きく変えたのは実はひとりの女性だった・・・
などという話は長くなるのでここでは割愛して私の本を読んで頂こう(笑)

さて次の曲は許魏(XuWei)蓝莲花(LanLianHua)
!!

自分がドラムを叩いてる曲が中国ロックのレジェンドに選ばれてるなんて光栄の限りであるが、確かに彼と一緒に作り上げたこのアルバムは中国ロック界に金字塔を打ち立てた。

それまで「中国人民よ立ち上がれ!!」とメッセージを発信していた崔健(CuiJian)に変わって、「僕はこんなに弱いんだ」というメッセージ
(一緒に飲んでる時に「絶望の中で一筋の希望を見た」ってのが君のメッセージだね、と本人にそう言うと「それ以上言わないでくれ、泣いちゃうから」と答えたのが印象的だった)
を歌にして、高度成長についていけない多くの若者に絶大的に支持された。

その辺の話は実は、昔関西大学の教授に頼まれて「中国ロックと中国社会」という論文を書いたことがあるのでそれをUPしておくのでおヒマな方はそちらを読んでみて欲しい。

こちら

さて次の曲こそがその崔健(CuiJian)
http://www.yaogun.com/artist/cuijian/cuijian.htm
の一無所有(YiWuSuoYou)
http://www.iqiyi.com/w_19rta4g2k1.html

ちょうど30年前の今日、1986年5月9日にここ「北京工人体育館」にて第1届百名歌星演唱会という連合国国際平和年を記念したイベントが開かれ、
そこで崔健がこの曲を歌ったことが「中国ロックの始まり」とされる。

日本だと「いやラウドネスが、いやBOWWOWだ!!」とか「やっぱ頭脳警察じゃないかなぁ」とか論議が絶えないところだろうが、全人民が認める「これがこの国で最初に生まれたロックだ」というのがあるということが中国の特殊性であろうか・・・

そしてメドレー最後の曲は中国共産党の曲、「国際歌」前述の唐朝が伝説のファーストアルバムの中に収録して若くしてバイク事故で亡くなった張炬(ZhangJu)が歌った曲である。

彼らが初めて日本に来た時に、
「ライブをやりたい」
と言うので、目黒ライブステーションに頼み込んで日本のバンドのイベントにねじ込んでもらって数曲演奏したことが懐かしい・・・

唐朝老五(TangChaoLaoWu)とのリハの時もその話が出た。

今でもその時に覚えた片言の日本語で話しかけて来て懐かしい思いがした・・・

張炬(ZhangJu)の死は中国ロック界では大きな事件で、そしてその後も大きな影響を与えて来た。

彼の追悼アルバムとして作られた「礼物(LiWu)」は2006年の"第六届百事音楽風雲榜頒奨盛典"にて、2005内地(大陸)最優秀歌曲賞、最優秀ロック歌曲、最優秀ロックアルバム、最優秀歌詞の4部門の賞を獲得するなどして、LuanShuもベストプロデューサー賞を受賞して今の地位を不動のものとした。

ワシ個人としてはこのアルバムのために若いバンドをプロデュースしてくれと頼まれて布衣楽隊(BuYiYueDui)と出会い、ボーカルの老呉(LaoWu)とはそれが縁で今でも一緒に暮らしている。

まさに張炬(ZhangJu)がくれたひとつの「礼物(贈り物)」のような「縁」である。

そんな「若手バンド」だった老呉たちも今では「大御所(まではいかないかな・・・古株)」ぐらいの位置に来て、その後の時代を担う「若手」が「爽子(ShuangZi)」である。

彼は自分の代表曲をメドレーにしたのだが、
そのトリに持って来たのがワシが書いた曲である。

ドラムや人生だけじゃなく、自分の曲がまた中国ロックの歴史に刻まれるのもまた嬉しいもんだね。。。

そんな今日のイベント、北京時間19時(日本時間20時)からネットで生中継されるそうな。
こちら→http://music.le.com/izt/rockchina30/index.html?from=timeline&isappinstalled=0
(見逃した人もきっとこのアドレスでアーカイブが見れると思う)

是非この中国ロック30年の歴史の節目を一緒に体験して頂きたい・・・


蛇足だがやはり書いておこうと思って加筆!!

30年前の今日、この北京工人体育館にて中国ロックの歴史が始まって、
そしてこの日にワシはいろんな思い出のある中国ロックの仲間たちと共にこのステージに立っている・・・

しかしこの友人たちの誰も知らない中国ロックの暗部の物語が私にはある。

同じくこの場所で、爆風スランプが出演したイベントにて、
中止命令を聞かずに届け出を出した4曲全てを演奏した私たちに対して、
銃を持った国家権力はPA席で若い中国人スタッフをめった打にし、
ボロ雑巾のようになった彼の「ロックのシンボル」である長髪を持って引きずって行った。

ドラムとギターアンプのベースアンプの生音だけで演奏を終えて、
胸を張ってステージを降りた私たちを、
銃を持った国家権力は別室に軟禁した。

ひょっとしたらその部屋だったかも知れない楽屋でこの文章を書いている。

若い中国人スタッフがボコボコにされたPA席に今日は国家権力が圧力をかけに来ることはないだろう・・・

しかしそんなことは多かれ少なかれ今日のこのステージに立っている中国ロックの立役者達はみんな経験している。

そうやってこの国で「ロック」をやって来たのだ・・・

平和になった。
この国でもこうして自由にロックが出来る時代が来た。

でもいつかまたこの国が動乱の世の中となって、
この国の若者たちが「ロック」で立ち上がる日が来たとしたら・・・

私は喜んで彼らと共に「ここ」で戦ってゆく覚悟である。

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2016年5月 7日

蘇州太湖MIDIフェスティバル

中国最大のロックイベントMIDIフェスティバルは、
元々は中国で最初に出来たロック学校の文化祭として始まった。

開校時にはワシも呼ばれて講義などをした記憶がある。
91年頃だっただろうか・・・

アンダーグラウンドバンドばかりが出演するこの学園祭は、
後には大規模になってのべ10万人は集めるであろう中国最大のロックフェスティバルとなった。

二井原なんかと一度参加したことがある・・・

元々は北京だけで開かれていたこのイベントは今では全国各地いろんなところで開催されているらしい。

Big Johnこと张嶺(Zhang Ling)が参加するということでスケジュールを押さえていたら、田端翔のバンドNever Beforeも参加するというのでドラムを叩いてくれと頼まれた。

まあペーペーのバンドがこのイベントに出場出来るなんて大したもんである。
喜んで引き受けた。

前日の洛陽からの移動はすったもんだしたが、
何とか夜汽車の切符が取れてそれに飛び乗った。

HaiGui20160430Goodnight.jpeg

会場は蘇州駅からも遠いらしく、
迎えに来た見知らぬオジサンの車に乗せられて、
まずはホテルに連れて行かれるのだがそこは会場から更に遠く、
着いたらちょうどNever Beforeの連中が会場に行くバスに乗るところだったので、
チェックインだけしてそのバスに飛び乗り、結局洛陽から11時間かけてやっと会場に着いた(>_<)

TaiHuMIDI2016Gate.JPG

噂によるとMIDIは、太湖の畔りのこの公園もMIDIフェスティバルのために買い取って会場にしているという・・・(驚)

中にはちょっとした遊園地もあって、
子供連れも多く、テント持参で3日間泊まり込みで参加するオーディエンスも多い。

张嶺(Zhang Ling)はメインステージでのゲストだが、
翔くんのバンドはサブステージ。

取り敢えずサブステージで翔くんのバンドのサウンドチェックをしてからメインステージで张嶺(Zhang Ling)のサウンドチェック!!

終わった時にはもうこんな感じ(笑)

TaiHuMIDI2016Sleep.JPG

まあ一瞬寝ればすぐに体力が回復する体質なので気力十分でまずサブステージに向かった。

いや〜サブステージはメタルばっかで客が本当にクレイジー(驚)
モッシュやダイブや何でもありで、
客の上に乗っかって旗は振りまくるし、
発煙筒を振り回すのまでいて危険極まりない(笑)

TaiHuMIDI2016SubStage.JPG
TaiHuMIDI2016Audience.JPG
TaiHuMIDI2016Audience2.JPG

Never Beforeのステージも盛り上がりました!!

TaiHuMIDI2016NeverBeforePhoto.JPG

TaiHuMIDI2016NeverBefore.JPG

そしてすぐさまメインステージに移動!!
张嶺(Zhang Ling)のライブはまあブルースなんで大人の雰囲気でしっとりと・・・

と言いながらやっぱ盛り上がりました!!

TaiHuMIDI2016MainStage.JPG

終わってからまた遠い遠いホテルまでバスで揺られて、
ふたつのバンドメンバーが一緒に飯を食って飲む!!

TaiHuMIDI2016Uchiage.JPG

いや〜新人バンドに取ってはこんな大御所ミュージシャンと飲めるなんて夢みたいなことなのか、あまり飲めないはずのボーカリストもガンガンに飲んで絶好調やったなぁ・・・(笑)

とことん付き合ってやりたかったんやけどワシら次の日は朝5時出発で寧波なのよね〜

また今度ゆっくりタバタバーで!!

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2016年5月 1日

洛陽「唐Townフェスティバル」

5月1日は中国でも労働節で連休である。

いつもこの時期はイベントが多く、ワシも5月1日にBig John張嶺(Zhang Ling)の蘇州でのイベントに呼ばれていた。

ところがその前日である4月30日に「海亀先生」という名前のバンドでドラムを叩いてくれということで突然忙しくなった。

聞けば日本人ドラマーHAYATOくんがドラムを叩いていたそうだが、
彼もいろんなバンド4つをかけ持ちしているので、
まあ全国でイベントが行われるこの時期にスケジュールがぶつからないわけはない・・・

というわけで代わりに呼ばれて洛陽まで行って来た。

入りは前日の29日入り。
北京ー洛陽の直行便は一日に2本しかなく、空港はこのイベントに出るバンドで溢れている・・・

そんな中のひとつなのであろう、隣でチェックインをしているバンドマンがワシに声をかけた。

「Funky老師でしょ?!!」

また「亜州鼓魂聞いてました」とか「許魏のアルバム聞いてました」とか世間話をされるのかなと思ったら、
「機材が多くて超過料金取られちゃうんです。ひとつそちらの荷物として預けてもらえませんか」

まあ同じイベントに出るミュージシャン同士助け合いである。
ワシの預ける荷物はツインペダルだけなので喜んで彼のエフェクターボードもこちらで預けてあげた。

洛陽空港に着いて用意されたバスに乗って取りあえずホテルへ・・・
見れば今年から始まったというこのイベント・・・
若いバンドが多くて半分以上知らないバンドである(>_<)

HaiGui20160430Poster.jpeg

夜のサウンドチェックのためにロビーにいたら、
スタッフなのかよっぽど熱心な追っかけなのか、
ワシを見つけてこう言った。

「打扰一下,乐队的吗?(ちょっとすみません、バンドの方ですか?)」

まあバンドの方と言えばバンドの方なのだがいきなりこう言われてどう答えていいやら分からずに何度か聞き返してるうちにあきらめてどっかに行ってしまった・・・

こちらのバンドのメンバーが集まったのでそのままバスに乗って会場へ!!

そしてそこでワシらの前にリハーサルをしていたバンドの名前が・・・
打扰一下乐队(ちょっとすみませんバンド)

(>_<)・・・バンドの名前だったのね・・・

初めて見るバンドだったが、可愛い女性ボーカルとイケメンのギタリスト(彼もところどころリードボーカルを取る)のポップなロックバンドである。

ワシは持ち込んだツインペダルと、最近フェス用に譜面を全部取り込んだiPad Proを持ってステージ上をうろうろしてたら、バンドのリハーサルが終わった。

「Funky老師、リハが押しちゃってどうもすみません!!」

メンバー全員がワシを見て頭を下げる!(◎_◎;)
・・・いや、別に自分のバンドじゃないし何も迷惑はかけられてないからいいよ・・・

サウンドチェックが終わってバンドのメンバーと酒を飲みに行くにもみんなが気を使って大変(>_<)
まあ年数経ってるだけでそんな偉い人間じゃないのよ・・・

HaiGui20160430Stage.jpeg

翌日は各々昼飯を食ってバスで会場へ!!
いや〜いっぱい人がいるなぁ・・・

HaiGui20160430Live.jpeg

海亀先生もとても人気で、盛り上がってライブは終わりました!!

HaiGui20160430Photo.jpeg

さて、実はここから「戦い」が待っているのだ。

翌日朝の蘇州での音楽フェスティバルのサウンドチェックに間に合うためには、
実は空路だと130km離れた鄭州まで行って、
そこから朝一番の上海行きに乗って、
車を用意してそこから蘇州まで走るしかない・・・

ところが夜行列車が取れれば夜乗ってれば朝蘇州に着く!!
でも満席で取れなかったのよねぇ・・・(>_<)

スタッフが頑張ってくれて「抢票(QiangPiao:キャンセル待ち)」してくれてたんだけど、
もっと先の華山北という駅からの切符しか取れなかった。

「これで乗れるよ」
と言うのだが、日本で言うと「プラっとこだま」みたいに切符に書かれた駅からしか乗れない切符もあるではないか・・・

また我々外国人は個人認証がパスポートなので、
チケットを発券する時に自動発券機が認識しないので長蛇の列の窓口に並ばなければならない(>_>)

昔小畑と無錫から蘇州に移動する時はこのせいで列車に乗り遅れている・・・

ライブ終わりにまず駅に行ってチケットを発券!!
なんとかチケットはゲット出来た!!

HaiGui20160430Ticket.jpeg

そうなればあとは乗るだけである。
もっと向こうの華山北とかの駅から乗らなくていいなら夜の11時まで飲んでれば良い。

「もし乗れなければ」など酒を飲んだらもう考えない。
ヘタして乗せてもらえなかったら車チャーターして130km走って鄭州まで行けばいいだけの話である・・・。

フェスのハシゴ・・・この広い中国で週末や連休には至る所でフェスが開かれている。
バンドの数も増えてかけ持ちをしているミュージシャンもかなり多く、
必然的にフェスをやれば数多くのミュージシャンがこのような移動を余儀なくされ、
イベント開催スタッフももう色々対処しているので慣れたもんである。

悠久の大地中国のスケジュールもだんだん分刻みになって来たということか・・・

Posted by ファンキー末吉 at:05:26 | 固定リンク